おせち嫌いによる、年始の挨拶
新年、ついに2025年になった。ついに、と言っても特に意識して見据えてきた年というわけでもないんだけど。去年もあっという間に過ぎていったことを考えると、今年もすごく早く過ぎていくんだろうな。順調であるならば。
一応年始の挨拶らしきことをしようかと思っているんだけれど「正月の期間だけ特別扱いする意味あるの?元旦もクリスマスも、よその一日と同じ24時間じゃん」という子供じみた屁理屈も頭によぎることはよぎる。困ったものである。
なぜ自分が正月が苦手なのか。色々と形式やら、そのときばかりに集まったりする儀式的なところもあるけど、何よりおせち料理が苦手というのが大きい。あれ、美味しいですかね。保存食だから仕方ないけど、甘いか、しょっぱいか、それだけでしょ。あと個人的には餅も苦手だ。(前にも書いた気がするけど、多めに出される→餅を残すことはできない→無理矢理口におしこむ→美味くもなんともない、と苦手になった)性格も舌も正月には向いていないんだと思う。
とはいえ今年も一年皆さん共々元気で、みたいな気持ちは一応あるし、大人として挨拶はしなくちゃならない。もちろんおせちも餅も縁起物として食べる。人はパンとチーズとカレーのみに生きるべからず(個人の好みです)、多少は苦手なこともしなくちゃね。
自分はある時期から「謹賀新年」ではなく「恭賀新年」を使うことが多い。こだわりがあるわけでもないが、単に「恭」の字に慣れているから、という理由で。避ける理由もないから、とそれだけ。自分や家族の名前に「謹」という文字が使われていたらそちらを使っていたと思う。
比較的好きな表現はフランス語だけどLes meilleurs voeuxというやつ。「最高の願い」という言葉で、新年の挨拶でLes meilleurs voeux pour 2025みたいな使い方をする。「2025が最高のものになりますように」という感じ?英語でいうとBest wish for~、ということになるのかな。
そういえばフランス語で別れ際の挨拶でBon(ne) ~というのもよく使われている。たとえばフランスで店に入ったときなんかにはBonjourとかBonsoirとか挨拶の声掛けで使うけど、朝か昼にその店で買い物や食事を終えたりすると「良い午後を」と言われるし、夕方だったら「良い夕べを」と言われる。この別れの挨拶が好きで自分もライブやイベントの後などにちょっと格好つけて?挨拶で(もちろん日本語で)「良い午後をお過ごしください」とか土日だったら「素敵な週末を」とか言っている。たまーに「珍しい挨拶ですね」なんて言われることもある。たしかに何かの宣伝文句みたいにも聞こえる。
まあそんなわけでシンプルに。
恭賀新年
良い2025年になりますように
以上を挨拶とさせていただきます。
2025 元旦
阿部恭平
(元旦でなくともこんなふうに元旦、と書くのも正月らしい儀式だね)