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Vol.318
2026 09/12 Sat.
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親和性と正しさ

先日『フラニーとゾーイ』のあらすじについて一気に書いたもんで久々に読もうと思い立つ。が、本棚には原書しか見当たらない。そうだ、いつかに失くしてしまい「原書があるからいいや」と余裕に構えていたのだった。原書を読み始めるも余りにも時間がかかるもんで、結局改めて翻訳本を買った。何をやっているのやら。もうそろそろ「英語読めます」みたいな顔をするのはやめなくてはならない。

 

 

それはともかく改めて発見もあった。ゾーイの台詞で「どいつもこいつも良い仕事をしたいんじゃなく、批評家や大衆、それに子供の学校の先生なんかにも『素晴らしい仕事をしている』と感心してもらいたいんだよ」みたいのがある。以前にどこかに書いたと思うけどブランフォード•マルサリスの「若いミュージシャンはどうなりたいか、じゃなく、どう評価されるか、しか興味ないんだ(だからそんな彼らから何かを学ぼうなんて思わない)」という発言によく似ていると思った。ブランフォードはサリンジャー的な人物なのだろうか?

 

 

せっかく原書があるのだから、と原文と比較してみる。意味はそのとおりなんだけど、翻訳された文のような印象ではなく、なんというか少し硬いニュアンスを感じた。もちろんそれは自分の言語能力の問題が大きいんだけど、逆に言うと、いくら単語や文の解釈ができたところでニュアンスを掴むのはまた別物なんだろう。音列や構成音がわかってもニュアンスはまた別物、というのに似ているのかな。

 

 

こんな時代なのだからその箇所をコピーしてAIに聞いていけば、なんらかの<正しい>答えを得られるのかもしれない。ただゾーイがブランフォードみたいな口調で喋るのと、理知的に落ち着いて喋るのと、どちらを想像するかは読者の自由であるはずだ。例えば刑事コロンボの声、ピーター•フォークの渋く小さい喋りと、吹き替えの小池朝雄さんのおっとりした喋り。本物は前者だが多くの日本人には後者の方が身近だろう。犯人追い詰める時の「うちのかみさんがね、よく言うんですよ」ってのは小池さんの声で聞きたい。大袈裟に言うと親和性ってやつかな。

 

 

そうそう、ここで書くことでもないんだけれど。改めて作品を読み返すと、先日自分が<文学と音楽>という欄に書いたあらすじはまとまりが悪い気がした。でも加筆や修正はしない。例えばAIが一瞬でまとまったあらすじを書いたとしても、自分の方が『フラニーとゾーイ』とは身近だ、という自負みたいなものも一応あるもんで。これまた大袈裟にいうと、親和性は正しさに勝るということになるか。

決して「面倒だから」ではないので誤解のないよう。

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Vol.317
2026 08/26 Wed.
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夏は夜、蛍も多く、飛び違い

八月も終盤。今年の夏も暑かったとは思うけれど、短かった気がする。自分は夏バテも熱中症の経験もないので、暑さに強いようだと最近になって気づいた。とはいえ、こういう油断をしていると痛い目にあうんだろうが。

 


暑いのもあるけれど、天気もおかしい。熱中症も昔はなかったんだろうけど、台風でもないのに電車が止まったり車が動かなくなるほどの雨もかつてはなかったはずだ。人が亡くなるほどの雨が日常的に、しかも予測できぬまま降るなんて。

 


日中の長時間の野外活動も危険だし、急な雨もいつくるかわからない。こうなると人はおいそれと外には出づらくなる。もしかしたら将来のミュージシャンは真夏に製作などに励むか、あるいは何か別の仕事に打ち込むかもしれない。定期的な演奏はともかく、大きなイベントはやりづらい。

 


自分に関して言うと、のんびりしてるのも、それはそれで充実することもあるのでちっとも嫌いではない。思えばコロナ禍もそうだった。一応「早く収束してほしい」と思っていたし、口でもそう言っていたけど、内心「(経済的問題がないならば)これはこれでいいな」とも少し思っていた。人前で演奏していかないとモチベーションの維持が難しいような人は精神的に苦しかったかもしれないけど、差し迫った予定もないからこその予期せぬ発見もなかなかよかった。あの頃に戻りたいとは思わないけど。

 


でもこんなことを言えるのも、現在ある程度恵まれているからなんだろうとも思う。精神的に辛いことを強いられる時などは意外と忙しい方が救われる、というのは自分もよくわかる。かつて経験した、あるいは将来いつかは身近になるであろう「辛い時」から思えば今は呑気そのものなんだろう。

 


先日、まさに呑気に散歩をしたときのこと。腕時計の電池を換えようと時計屋に預けて、本屋とアパレルショップを眺めて過ごした。時計を引き取った帰り道。ちょうど聞いていた音楽が風景にも空気にも見事にあっていたもので遠回りして公園に寄った。かろうじて日が残っているぐらいの時間で犬を連れる人々や、まだ遊ぼうとする子供達も目に入る。思えば子供の頃は日が沈んで真っ暗になるギリギリまで「まだ明るいから遊べる」などと考えていたものだった。そのまましばらく公園内をぐるりと歩き、動くようになった腕時計を見ると七時前になっていた。夏の日が沈む頃から夜は実に過ごしやすい。夏は夜、というどこかの明快すぎる文のとおり。

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Vol.316
2026 08/17 Mon.
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ある動物病院の風景

10年くらい前の話。飼っていた猫がいわゆるキャリア持ちだったため、定期的に病院に通う必要があった。ある日、病院の待合室にいると、ある婦人が駆け込んできて「急患です!」と受付で声をあげた。バッグの隙間から苦しそうに声をあげる猫の顔が見える。そのまま女性は猫を抱えて診察室に入っていった。しばらくすると女性は目を腫らして出てきた。待合室に一人しかいない私の方をむくと「順番をぬかしてしまい、すみませんでした」と頭をさげた。とんでもないです、と返し、安否を聞けずにいたら、すぐに「間に合いませんでした」と泣き始めた。「そうでしたか」と返すと「こんなことなら家族で看取ってやればよかった。私が無理にここに連れてきて余計に辛かったかもしれない」と落ち込む女性。私も「(猫ちゃんにも)なんとかしてあげようと、必死になっていたことは伝わったかもしれませんよ」などと言う。うちの猫の名前が呼ばれたので「お辛いでしょうがご家族のみなさん共々ご自愛ください。失礼します」と言い診察室に向かう。

 


いずれはうちの猫にもこういう日がくるとか、苦しんでいた猫の表情とか、様々なことが頭をめぐる。重い気分でドアをあけると先生は「はい、こんにちはー」といつも通り。嫌がるうちの猫に「はいはい、ごめんねー。ちょっと太ったかな?運動かご飯節制した方がいいかもねえ」なんてハキハキと喋る。「とりあえず元気ならいいんで、、」とこっちは暗く返す。

 


いやはや医者のメンタルはすごい。いちいち落ち込んでいられない、というのが当たり前の世界なのだろうけど、逆にこの切り替えがなんらかのストレスになっていてもおかしくはない。自分は医者じゃないけれど、負担にならない程度に見習いたいとすら思った。終わったことよりも、これからのことの方が大事なのはどんな人にとっても共通だ。そもそも何度も振り返ったり、しがみつきたいような過去もないんだれど。

 


思えば猫と暮らした10年の間にそれまで知らなかった色々なことを目にしたものだ。前にも書いたかもしれないけど最初に大きく体調を崩したのが元旦の夜中だったもので、対応できる特別な病院に行くしかなかった。いきなり一日入院することになって費用も特別だった。その年の二月、元旦の一ヶ月後に渡仏する予定だったんだけど、その飛行機代よりも高額だったことを覚えている。

 


他に病院も知らず、初めてのことで平均価格も知らないのでしばらくはそこに通ったが、駐車場にはいつも高級車が停まっていた。医者も常に数人は常駐しており、入り口にはその日の来院目的など尋ねてくる執事みたいな人もいた。ある日猫が血尿をしたので急いで連れていったら、血液検査を、と言われた。その時点で家賃ぐらいの請求になると察した。猫の体調と支払いを気にしながら待合室に戻ると、自分より先にいた薄着で若く細い女性がいて治療を終えた犬を抱いていた。よかったわねー、などと愛犬に声をかけながら、会計で(私の当時の家賃以上の額を)現金でサッと払って嬉しそうに帰っていく。治療を終えたら本来彼女みたいに気持ちよく帰りたいのに、他のことで少しでも気が重くなっていた自分が情けなかった。お金は何かを買うとか、ストレス発散とか、そういうためだけではなく精神的にも必要だと実感した。しばらくして近所の病院を紹介してもらって、そちらに9年くらい通ったことになる。


思えば動物病院に行かなくなって3年になる。半年ほどは関わった執事みたいな人や、9年間二週に一度は必ず顔をあわせていた先生にも、もう会うことはない。そう考えるとしばらく会わずとも関係が続く間柄というのは恵まれているものなんだろう。そういうことを含めて動物病院という場所を通じて思ったことは色々とあった気がする。

 

いなくなって三度目の盆に。

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Vol.315
2026 08/03 Mon.
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少し愛して、ながーく愛して

いつかに知った「少し愛して、ながーく愛して」という台詞。ウイスキーのCMのキャッチコピーのようで。自分が生まれるより前の頃なのでCMはもちろん、当たり役だった大原麗子もほとんど知らないけれど、そのフレーズは記憶に残った。ポップなものって何事もそんなものなのかもしれない。

 


たまたま先日その文句を思い出してみて調べてみた。作ったのは糸井重里。love me a little, love me long、というイギリスの詩が元ネタだったという。なるほど。こういうことを知ると、CMの文句にもちょっと気品を感じるから不思議だ。

 


人は何かと先入観に影響を受ける。適当な俳句を芭蕉の句といえば趣きを感じてもらえるかもしれないし、適当な絵をピカソの弟子の作品といえばそれなりに関心を持たれるだろう。毎月のように呑気そうな猫の絵を描いている人が知り合いにいるのだけど「彼はフランスに滞在している間、時おり美術館に通って過ごした」と紹介を加えてみたら、意外と芸術性の高い絵に見てもらえるかもしれない。

 

 

かつて女優の蒼井優が小津映画の『秋刀魚の味』での岡田茉莉子がブドウを食べる演技を研究した、なんて記事を目にしたことがあった。蒼井優の演技を見たことなかったのにも関わらず、自分はなんとなく「きっと良い役者さんなんだろうな」と思ったのを記憶している。どんな役者だってきっと色々と勉強しているだろうに、印象なんて意外とこんなもんなんだろう。

 


多くの評価も印象から始まる。まずは印象を重んじて自ら評価を構築していくのも、最近で言うとブランディングということにもなるのかな。ただ例えば蒼井優本人が「こんな苦労したんです、昔の日本映画をこんなたくさん研究しました」などと長々と主張していたら、「うるせーな」と思うだろうな。演技で人の心を動かすのは芸であっても、それに伴う苦労や努力で意識を惹こうとするのは芸ではない。大袈裟だけど精神的な貧相さを感じそうだ。時に人が経済的に貧しくなるのは仕方ないとしても、精神が貧しいのは好ましくない。そうなると口論の末の表現でニュアンスは逆であっても、勝海舟の「評価とは人がやるものだから、自分は預かりません」の方がさっぱりしていてよろしい。ブランディングというものとは相反するけども。

 


さて「少し愛して、長く愛して」の詩は深すぎる愛は時に破綻しやすい、という意味も含まれているという。たしかに完璧な人もいないので、短い時間であまりに密接な関係をもつとお互い欠点も目につくだろう。先ほどの評価に関わるような話にしても、関係性を抜きに長々語られるとそれこそ「うるせーな」となる。多くのことは「少し、長く」あるいは「深く、短く」ぐらいの方がうまく回るのかもしれない。

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Vol.314
2026 07/27 Mon.
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たまにはサッカーの話なんかを

ワールドカップ2026が終わった。自分は中学、高校とサッカーをやっていたんだけど、普段ベイスターズに対する愛着ばかり見せているからか、意外に思われることもあるようで。

 

 

今回のワールドカップは夜中に録画したものを朝食やストレッチなどのついでに流していた。7月になってからはそれなりに見たように思う。優勝したスペインは<ボールを無駄に浮かさず速く動かす→きちんと止める→(前もって状況確認ができているから)また速く動かす>という基礎技術の徹底が素晴らしかった。

 

 

勝敗や戦術など細かいことはともかく、サッカーを通じて思ったことなどを。まず試合結果を見ないように過ごすのが新鮮だった。例えば朝にふと検索サイトを開くとネットニュースが目に入るかもしれないし、誰かが結果を書いているかもしれないSNSを開くなんてのはもっと危険だ。ということで試合が終わるまではスマホに触らないようにしていた。余談ながら、サッカーがきっかけというわけでもないけど、最近家にいるときは夜11時頃から朝までは無条件で携帯に触れなくなった。返事等遅いときもあるかもしれません、あしからず。

 

 

あと自軍のゴール近くでゆったりとボールをもったり、相手をひきつけてる選手をみると(たとえ華麗な技術を持っていたとしても)「危ないって!」と反射的に思う。例えば自分は高所恐怖症で、人が高く不安定なところにいるのを見るだけでゾッとするのだけど、その感覚に近い。これはおそらくちょっとのミスで痛い目にあったトラウマ、つまり自分がDFであったという経験のせいか。勘や第六感も含め、あらゆる感覚は個人の過去や経験によって作られる。ベルグソンは正しい。

 

 

あと珍しく昔からの知人と一緒に見た試合もあって、その方は多くの試合をチェックしていて「この大会は守りに入った方が、最後にはこじ開けられてるんだよ」などと言っていて「ほおほお」と聞いていた。するとその後の多くの試合も結果的にその言葉の通りで、準決勝や決勝も守りに入ったチームが最後には失点していた。自分はそれこそDFだったからか、個人の才能ある選手を守備で封じ込めて勝つようなサッカーが好きだったけれど、そういう試合は少なかったと言える。ファールの裁定に映像が用いられることも増えた影響もあるのだろうか。

 

 

ともあれ久々にサッカーの試合を楽しんだ数週間であった。試合終了直前に同点、逆転という試合も多く、白熱した良い大会だった気がする。スペインの地味な基礎技術の徹底や、引いて時が過ぎるのを待つのではなく攻め続けようとする意識、終了間際のここぞで結果を出したチームや選手達の姿勢など、色々と勇気づけられたような気もする。ピッチの外である一部の大会主催国の、とある権力者が出しゃばっていたのだけはみっともないから見習いたくないけど。

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