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Vol.262
2024 10/04 Fri.
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ケバブ🥙

Kebabって曲をバイオリン川又瑞代さんとのデュオ、Pas de Djeuxで演奏してみました。

思えば10年くらい前のジャズマヌーシュのライブ用に作った曲で、アコーディオンにメロディーとってもらったり何度かやってましたが、その後演奏する機会もなくしばらく封印。春のジャンゴキャンプで「キャンプにあうかな」と久しぶりに持ち出し、ちょっと手を加えました。出雲って曲もそうなんですが、少しずつ手を加えたり演奏する人や編成によって雰囲気が大きくかわっていくのも楽しいもんです。
ぜひお聞きください。


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Vol.261
2024 09/14 Sat.
カテゴリー:

腰痛の話の続き

おかげさまで腰痛はあっさりと完治した。と書きたかったが、あれから回復はしているものの、全快には至っていない。それこそ前回書いたように「悪運が強い」というべきか、演奏中に痛みを感じることはほとんどない。しかし長時間同じ姿勢をすると足がしびれていたり、ある特定のストレッチをやったり、小走りをするとわずかながら痛みを覚える。

 

 

なんにせよ、好き勝手に思うことを書くとそれを裏切るようなことが平然と起こる。腰は治りそう、と書いてからもう20日ぐらい経っているとは。考えてみたら「ラーメンに興味ない」とどこかに書くとそれから間もなくラーメンを食べることがあったり、「最近~さんと会っていないんだよね」と話すと急にその人から連絡がきたり。何かの符牒、最近の言葉でいうとフラグというやつなのかな。

 

 

そういえば「最近本が読めていないなあ」などと思っていたら、腰痛だったものでゴロゴロして本を読んだり映画を見ることが多かった。自分のまわりで評判を聞いたヴェンダースのPerfect days、面白いことは面白いんだけど「あーヴェンダースだね」てなもんで。自分は元々ヴェンダース作品に特別な愛着を持っているわけでもないからね。「パリ・テキサス」くらいは好きだけど何度も見たいとは思わない。彼が小津映画を好んでいることを知っているが故に「はいはい、小津リスペクトね」などと思ってしまうのもあるので、私はフェアに作品を見られていない気もする。

 

 

本では村上春樹の短編と随筆、ディラン・トマスの詩集などを読んだが、感服したのは未読の武田百合子の随筆集だった。私は夫である武田泰淳の作品の良い読者ではないのだが、百合子の随筆は昔から好きで、彼女自身が「未発表の原稿は全て燃やしてくれ」と娘の武田花さんに伝えていたらしいが(まるでカフカだ)、未発表だった随筆集が何年か前に発売されていた。それを一気に読んだのだが、「燃やしてくれ」といった気持ちもわからんでもない。夫である武田泰淳に対する喪失感があまりにもあからさまに出ているものも含め、完成度として彼女自身が納得できていなかったのだろう。「お湯」「アメリカ人からの手紙」などは、急に体調を崩して亡くなった夫、泰淳に対する罪悪感めいたものが明白に見える。その罪悪感めいたものにこそ、私は共感したのかもしれない。

 

 

人は色々なことで罪悪感を抱く。身近な人や家族になにかあっても、自分が気づけなかっただろうかと考えたり、何か悪いことがあると「今までこういうことやってきたからその報いだ」とかなんとか。ただし前にも書いたように腰痛(というか、もはや「たまに足だけがしびれる」という感じだが)に対しては一切反省する気はない。これだけ腰に気をつけているのになったんだから仕方ない、と開き直っている。とはいえ村上春樹のエッセーを見るとやたらと「走る事」について書いているし、足が完治したらたまにはランニングでもやってみようか。考え事にもよさそうだし。

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Vol.260
2024 08/24 Sat.
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悪運

久々に腰痛を味わう。元々腰は凝りやすいので毎日様々なストレッチをやるし、腰痛対策もあってしょっちゅう歩きまわっているのに、今回はただの腰痛ではなく足の痺れと痛みがひどい。足の痺れというものは人生でも初めての体験だったので、それなりの大病でなかろうか、とも疑った。疑っただけで確かめてないが。

 

 

理由は何か。誰かさんの言い回しを借りると「原因はわからない、じゃなくて、ない」。強いて思い付くのは冷房が苦手なのに冷房を浴び続ける機会が多かったことか(しかしこんなの、毎年のことじゃないか)。これだけストレッチして、歩き回ってなるならどうしようもないよ。自責の念なんて一切ない。

 

 

こんな話をするとだいたいの人から「医者に行きなさい」と言われる。私も人にならそう言うかもしれない。しかし今まで腰痛のみならず、様々なことで整形外科に行ったが、(骨折などを別にして)レントゲン撮って「異常ありません。なるべく安静に」と湿布を渡されるだけ。そんなわけで世の中で信頼に値する整形外科には会ったことはなく、私はぶつけてもひねってもいない身体の痛みや違和感で病院に行くのはやめた。そもそも医者、あるいは人を信用していないということもあるが、気休めに4000円ほど払うなら何か買うのを迷っている物にでも使った方が精神的に良い。

 

 

自分は決して運がいいとか幸運とか思ったことはないが、ただ悪運は強いような気がしている。イヤなことはたくさん起きるが最終的にはなんとかうまく行く、というべきか。悪運かどうかはわからないが、一番痛い時期に長時間の演奏等がなかったのは救いだ。ひどいときは起きるのにも一苦労、起きてから立っても座っても足がズキズキと痛む、という状態であった。「こりゃ数日後のあれ、キャンセルした方がいいかな」などと思っていたが、ある時ふと軽くなり、一応ゆるやかに回復してきている。

 

 

ま、そんなわけで自分の悪運を信じて八月終盤も乗り越えたい。乗り越えたい、と書いたが、おもえば最近特に八月と相性が悪い。一昨年も指が不調だったし、去年も精神的に最悪だった。こんなことをぼやいていると新たなことを思いつく。悪運がどうこう、と先程も書いたが、良かったことはそんなに思い出さず、イヤなことを覚えているだけなのかもしれない。

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Vol.259
2024 07/31 Wed.
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等々力渓谷を思い出す

運動を好んですることはないが、歩くのだけは嫌になったことがない。普段楽器など何かしらを携えていることが多いせいか、荷物が少ないときなどは積極的に歩く。ましてや性格によるものか、待ち合わせや約束などにたいてい早く到着する口なので、あまりに早くつきそうな時には途中下車して歩くことも多い。歩く時は2万歩以上、週にしたらおそらく7万歩ぐらいには達しているんじゃないだろうか。できるだけ静かな道を聞きたい音楽をかけながら(聞かないときもあるが)、「ほほお、この道をいくとあの通りに出るのか」とか「この家、ずいぶん古いなあ」とか風景をみて適当なことを考えながら歩くのは呑気で良い。

 

 

さてそんなわけで先日に書いた話の詳細のようになるが、田園調布に向かう途中、到着時間があまりに早いので等々力で下車。そのまま等々力通りを歩いてみた。自由が丘までだいぶある、尾山台あたりから「~自由が丘」などというマンションが増えていくのが面白かった。住所は奥沢、そもそも目黒区でもないのに。奥沢という地域は思った以上に広いことにも驚いた。

 

 

等々力といえば、コロナが流行りだした後、ある友人と等々力渓谷に行ったことを思い出す。彼とは大学時代からの仲で文学やら音楽やら、色々な話をしてきた。私がフランスにいる間、数ヵ月居候したこともあったし、日本で同居したこともあった。音楽をやることを決めて家をでて、いわば彼とシェアリングというやつをしていたのであった。久々に会ったその日もお互いの思い出話をしたり、好きな作家の話などを時おり交えながら歩き回った。渓谷を抜けた後にコーヒーを飲み、神社で「人の書いた絵馬を眺める」というお互い共通の趣味を果たした。「(アイドルの)二宮くん大好きです!って、これ神様に願う事かねー」とか「おい、合格祈願のこの子、漢字間違えてるぞ。大丈夫か?」とかボヤキながら。

 

 

そんな彼とも会わなくなり数年がすぎている。誰某の新作がでたとか、著名な作家や映画監督の訃報など、関心のある話題でお互い連絡をしていたが、ある時期から返信がなくなった。どうしたことか、と思いながらもう一年くらい経つ。思えば彼だけではなく、親しく過ごしたような人はたくさんいて今でも時おり思い出すけれど、もう連絡を取れないようなことも多い。もちろんそれはこの世からいなくなってしまった人も含まれる。逆に私が思い出さない誰かが、私のことをたまに思い出しているかもしれない(というと思い上がりかな)。サヨナラダケガジンセイダ。

 

 

いつかもうちょっと過ごしやすくなったら、等々力渓谷を一人で歩きにいこうかと思う。もちろん散歩の最後には絵馬でも眺めて。

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Vol.258
2024 07/23 Tue.
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夏の定義:熱中症の危険の高い時期

梅雨も明け暑くなった。熱中症への注意を呼びかける言葉を毎日のように目にする。暑過ぎるためプール禁止、なんてことも起きているらしい。逆ならともかく、自分が幼かった頃では考えられなかったことだ。


 自分は熱中症になったことはないと思うのだが、一番暑かった思い出は何かと問われると、フランスで初めて迎えた七月のある日。かの国で生活し始めて数週間の頃だった。

 

 

言語学校の講義を受けた後、帰る途中に喉が乾く。飲み物を買おうとするも、あちらの自販機は札では買えず小銭がないと購入すらできない。(札を入れる場所すらない!)スーパーで買おうと思うも、パリ市内のスーパーはレジに長蛇の列が当たり前。店員も少ないし、早く捌こうとも考えていない。たいていの人がカードで支払おうとするが、そのカードの不具合で余計に時間がかかることもしばしば。そんなわけで皆一度に買い物をすませようとするからか、買い物かご5、6個分とか一気に買う人が多いという悪循環。よってペットボトル一本を買うのにも15~30分弱かかることもある。こう考えると日本の自販機やコンビニはとても便利で消費者に優しいね。

 


 そんな時間かけるならさっさと家に、と必死に階段をあがって自分の部屋につくなり「硬水だから日本人に身体にあわない」と有名なヨーロッパの水道水をガブガブと飲んだ。煮沸なんかしてられないほど喉が乾いていた。その後しばらく横になって過ごした。それからというもの、パリのスーパーで比較的安そうなペリエのペットボトルを購入し、夏の間は冷蔵庫に常備するようになった。不思議とその習慣は日本でもそれは続いている。炭酸水はペリエが一番好みだ。

 

 

ヨーロッパは涼しいというが、そうとは限らない。暑い寒いは人の決めること、飲み物があるかどうか、季節の変わり目で身体が順応しているかどうか、といったそういう環境がモノを言うことも多い。そういえばフランスにいる間一番「寒い」と思った日は真冬ではなく11月であった。

 

 

先に書いたように自分は熱中症になった記憶はないが、元々寒がりなのと、常に荷物が多く季節に関係なく水を持ち運んでいるのが良いのかもしれない。暑い中出歩くことをあまり厭わないと思う(こういうことを言うやつこそ危ない)。とはいえ油断は禁物なようで。先日とある場所に予定の時間よりに早くつきそうだったので、途中の駅で下車して2,30分ほど歩いてみたのだがさすがに暑さに疲れて身体も日に焼けた。


 皆さんもどうかご自愛ください

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