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Vol.269
2025 02/05 Wed.
カテゴリー:

スクリーンタイムの話から、知識の話

昨年末くらいからスマホのスクリーンタイムを減らそうと試みている。理由はたくさんあるけど、端的に言えば色々な意味で無駄と思ったから、というべきか。しかし新年になり、というか一月二週目になってグッと増えてしまった。理由は明白、大相撲初場所です。移動中でもどこでも、その日の取組をほとんど見られるんだもの。そりゃ見ちゃうよね。野球が始まったら、と考えると恐ろしい。U-NEXTに入れば横浜主催試合なら見られるし、他球場でも速報をチェックできてしまう。電車移動中なんかに「逆転のチャンス、ここでバッター宮﨑敏郎!」なんて時にスマホを触らずにいられる自信はあまりない。どうなることやら。

 

 

それはともかく、色々な無駄といったが、それらは時間やバッテリーでもあり、情報でもある。やはりインターネットを開くと自分に関係のない人の、関心のないニュースなども目に入る。ふうん、こんなことあったのか、とか意識しなくとも認識していることもある。人の脳ってすごいと思ったり、自分ってやはり俗物だなと思ったりする。

 

 

興味ないことはもちろん、たとえ関わることでも知らない方がいいこと、考える必要のないことなんか山ほどある。おとぎ話だったか、誰かが蛇に足を使わないのにどう歩んでいるのか聞いてみたら、蛇は考えすぎてスムーズに動けなくなった、というのがある。あながち蛇を馬鹿にできる話でもなくて、スムーズに歩んでいたのに何かを意識しすぎて失敗、なんてのは人にもよくある。考えることは必要でも、考えすぎることは基本的に不要だ。

 

 

さて関係あるようで、全くない話にとぶ。先日教えてもらった動画でハーバードの首席卒業生がスピーチをしているものがあった。彼女はイスラエルのガザ侵攻に反対の意を示した教授が退職を強いられたり何人かの学生が処罰されたり卒業できなかったことに触れた後、「知らないことの力」を述べる。知らないというのは、そこから共感や謙虚や学びを得られる倫理的な立場である。不確実性(知らないこと)から人は居心地の悪さを覚えるけれどそこから目を背けず、そして物事を決めつけずに、知らない世界に身を置きにいく姿勢にこそ意味があると。

 

 

いやあ、SNSやYouTubeで、したり顔で威勢の良いことを言って偉そうにしている人達にもぜひ噛み締めてほしい。蛇の考えすぎが悪影響なのと同様、偏った知識で思い込むくらいなら、それこそ何も知らないという態度でいる方がずっと立派だ。

 

 

さて件のスピーチはエミリー•ディキンソンの詩を引用して終える。

 

 

Not knowing when the Dawn will come,

I open every Door

 

朝焼けがいつ来るかわからないけれど、私は全ての扉をあける

 

 

スピーチの締め括りの表現としてもお見事。詩の引用箇所からもなんとなくわかるかもしれないけど、ディキンソンはどちらかというとネガティブなイメージのある詩人だ。もちろん死や神の不在、儚さを題材にした作品も素晴らしくて、たまたま昨年の秋に自分もディキンソンの対訳のついた詩集の文庫本を買っていた。上記の詩は知らなかったけど(不勉強!)、基本的に陰鬱とした感じのディキンソンがこんな力強い素直な言葉を残しているのが余計に嬉しかった。

 

 

https://youtu.be/SOUH8iVqSOI?si=bSxc-cZDYxNY5Egc

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Vol.268
2025 01/11 Sat.
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日向ぼっこ

例年に比べて年末年始共に演奏や人と会う予定が入っていたもので、最近になってようやく「これといった予定のない日」を過ごしている。しかしつい先日から諸事情により意識的に楽器を弾く必要があるもので、家でも楽器に触れている時間が長い。こう書くと普段の休日は楽器に触らないとか怠けているみたいだけど、そういう意味ではなくて、普段から楽器に触る時間はそれなりに長いんだけどね。(諸事情、ともったいぶることもないくらい些細なことだけど、今言う必要もない話なんで。後日にでも気が向いたら書きます)

 

 

前回にも正月やお節が苦手なことは書いたが、そもそも冬はクリスマスに正月、節分にバレンタインと行事が多い。まあ行事はともかく、寒がりのくせに冷えた空気は好きだし、何よりも空が澄んでいて綺麗なのは実に気持ち良い。そして陽射しの強いこと。寒い日でも青い空と強い陽射しを見れば少し心持ちも明るくなる。私が楽器を弾いて過ごしている部屋にも、まぶしいほどに陽がさしてくる。

 

 

休日に楽器を弾いていると、同じ部屋の日向で猫が丸くなっていることが多かった。日が出るより前に起きて何度もご飯を要求、食べ終えるとトイレ。その後に窓の近くの日向に向かい、入念に毛繕いをしてからウトウトし始める。午前から午後までは楽器をどれだけ弾いても、どこかしらで丸くなって寝ている。たまに起きて水を飲んだりしても、やっぱり日向に戻って眠る。練習を終える夕方頃になると、空腹を訴えるようにこちらを見つめてくる。少しずつ食べては休み、を繰り返して、夜9時頃までには食事を終える。その後も温かい場所でウトウトして11時から12時頃になると、そろそろ寝ようよ、と言わんばかりに「ねえねえ」と小豆色の肉球をこちらに押しつけてくる。今みたいに寒い季節は私の枕元か布団の中、胸の上でゴロゴロと声を鳴らしながら。暑い時期は足元で尻尾を私の足に乗せて寝ることが定番になっていた。猫は気まま、というけれど、(特に休日は)実に規則的な生活で決まったルーティンをもっていた。そろそろ寝ようよ、ではなく、もう寝なさい、のつもりだったのかもしれないね。

 

 

日向でゴロゴロしていた猫も小さな壺におさまり、見ることも触れることもできなくなってもうすぐ一年半ほどになる。自分は相変わらず部屋で楽器を弾いたり、コーヒーを飲んだりしているのだが、窓からの強い陽射しで日向が広がっていることに気づくと、特に意味もなく目を向けることがある。かつて「日向でのんびりしちゃって。気持ちよさそうだな」なんて眺めていたけれど、今思えば向こうは向こうで「楽器なんか鳴らしちゃって。ご機嫌だな」なんて見守っていたのかもしれない。

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Vol.267
2025 01/02 Thu.
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おせち嫌いによる、年始の挨拶

新年、ついに2025年になった。ついに、と言っても特に意識して見据えてきた年というわけでもないんだけど。去年もあっという間に過ぎていったことを考えると、今年もすごく早く過ぎていくんだろうな。順調であるならば。

 

 

一応年始の挨拶らしきことをしようかと思っているんだけれど「正月の期間だけ特別扱いする意味あるの?元旦もクリスマスも、よその一日と同じ24時間じゃん」という子供じみた屁理屈も頭によぎることはよぎる。困ったものである。

 

 

なぜ自分が正月が苦手なのか。色々と形式やら、そのときばかりに集まったりする儀式的なところもあるけど、何よりおせち料理が苦手というのが大きい。あれ、美味しいですかね。保存食だから仕方ないけど、甘いか、しょっぱいか、それだけでしょ。あと個人的には餅も苦手だ。(前にも書いた気がするけど、多めに出される→餅を残すことはできない→無理矢理口におしこむ→美味くもなんともない、と苦手になった)性格も舌も正月には向いていないんだと思う。

 

 

とはいえ今年も一年皆さん共々元気で、みたいな気持ちは一応あるし、大人として挨拶はしなくちゃならない。もちろんおせちも餅も縁起物として食べる。人はパンとチーズとカレーのみに生きるべからず(個人の好みです)、多少は苦手なこともしなくちゃね。

 

 

自分はある時期から「謹賀新年」ではなく「恭賀新年」を使うことが多い。こだわりがあるわけでもないが、単に「恭」の字に慣れているから、という理由で。避ける理由もないから、とそれだけ。自分や家族の名前に「謹」という文字が使われていたらそちらを使っていたと思う。

 

 

比較的好きな表現はフランス語だけどLes meilleurs voeuxというやつ。「最高の願い」という言葉で、新年の挨拶でLes meilleurs voeux pour 2025みたいな使い方をする。「2025が最高のものになりますように」という感じ?英語でいうとBest wish for~、ということになるのかな。

 

 

そういえばフランス語で別れ際の挨拶でBon(ne) ~というのもよく使われている。たとえばフランスで店に入ったときなんかにはBonjourとかBonsoirとか挨拶の声掛けで使うけど、朝か昼にその店で買い物や食事を終えたりすると「良い午後を」と言われるし、夕方だったら「良い夕べを」と言われる。この別れの挨拶が好きで自分もライブやイベントの後などにちょっと格好つけて?挨拶で(もちろん日本語で)「良い午後をお過ごしください」とか土日だったら「素敵な週末を」とか言っている。たまーに「珍しい挨拶ですね」なんて言われることもある。たしかに何かの宣伝文句みたいにも聞こえる。

 

 

 

まあそんなわけでシンプルに。

 

恭賀新年

良い2025年になりますように

 

以上を挨拶とさせていただきます。

2025 元旦

阿部恭平

 

(元旦でなくともこんなふうに元旦、と書くのも正月らしい儀式だね)

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Vol.266
2024 12/08 Sun.

2024年末のご挨拶

12月。今年はこのブログでもぼやいたが、腰というか足の不調が実に長かった。今でもたまにしびれて、なんというか、正座したあとのような感覚になる。以前はもっと多かったけど、最近は気づくのが一日に10回以下くらいになったかな。動いている時にはまずしびれないし、本当にただジーンとするだけなので特に支障はない。最初のうちは大病も少し疑ったけれど、どう考えても良化しているのでもうあまり気にしないようにしている。自分の判断では梨状筋のコリですね。治ったと思ったらやっぱりしびれる。三歩進んで二歩さがる、自分の日々の取り組みと同じようなものだね。そろそろ完治しそうな気もするけど。

 

 

さてそんな足や腰の不調から今年の夏にはゴロゴロしながら武田百合子の未発表の随筆を読んだのだが(以前にも触れたかな)、夫、武田泰淳の死に関する感情が露になっていた。元気そうなおじさんを見ると「なんでこの人は元気なんだろ」と、同年代の女性をみると「この人の連れ合いだってそのうち亡くなるぞ」と思ったり。アメリカ人の知り合いから電話がきたとき娘が英語を間違えて「私の父は亡くなりました」というべきところ「私は父を殺しました」と言ってしまったかも、という話では、たまに夫の泰淳が「とっておいてくれ」と言ったそのアメリカ人とやりとりした手紙の写しを見つめながら一人つぶやく。「私の夫は亡くなりました。私が夫を殺しました」

 

 

人は何かと罪悪感を覚える。また相手にその気がなくとも勝手に落ち込んだり、イヤなことを思い出したり悪い感情を持ってしまうこともある。いつもの淡々とした描写ともまた違うし、武田百合子が発表しなかったのも、そういった感情が抑制できていなかったから、かもしれない。苦労話を聞いて「お気の毒に」なんて言いながらどこかで覚える「自分じゃなくてよかった」という安堵感、あるいは自慢話を聞いて「すごいですね」とニコニコ言いながら「調子にのっちゃって」とよぎる反発心。色々と思い当たる気もするね。こうなると、どうも性悪というか、ネガティブな話になってしまっているが悪いことばかりでもない。そういう安堵感から誰かに優しくなることもあるだろうし、反発心から何か強いエネルギーが生まれることもある。そういえば武田百合子も執筆活動を本格的に始めたのは夫の死後だ。

 

 

まあそんなわけで今年もやっぱり色々困ったこともあったけれど、今後良い方向に昇華できたら、と思う。年をとることに抗えないように、イヤなことが起きるのでも個人では背負いきれないことが多い。問題は、というか、できることは、その後の行動や心持ちしかないんだろう。

 

 

さて月並ですがご挨拶を。皆さんも良いことばかりではなかったでしょうが、どうか良い心持ちで今年終盤を過ごしてもらえますよう。会ってお話できた人も、会えずとも応援してくださった方も、ありがとうございました。それこそ自分では何事も歩みが遅いなあ、と忸怩たる思いもありますが、来年からもより良い演奏ができるよう、そして「聞きにいきたい」と思ってもらえるよう励みます。まだ今年の演奏もあってやや早めな気もしますが、どうか良いお年を。

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Vol.265
2024 11/21 Thu.
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クリスマスソングから単数複数の話へ

もう11月後半になっていた。はやい。ベイスターズは無事日本シリーズを制した。お祝いのご連絡いただいた方々、ありがとうございました。久々の日本シリーズ制覇、滅多にないことなのでどう振る舞うべきなのかわからないファン心理。とにもかくにも前向きにとらえるファンからしても重要な選手の離脱が続き「こりゃ厳しいな。ちょっとはいいところを見せてくれたら充分」なんて眺めていたら、こんな結果になるとはね。世の中わからないことばかり、諦めずに頑張った選手たちは偉い。

 

 

さてここ数日で一気に冷えてきた。寒くなると、特に車の中ではクリスマスアルバムを流している。(寒くなくても聞いているけど)今年繰り返して流しているのはヘンリー・マンシーニのオーケストラによるもの。ところどころのアレンジが素晴らしい。(ついこの間もこんなことを書いたな、と思ったら、文学ネタのところでムーンリバーの話をしたときだった)ひまわりのテーマもそうだけど、ふっとハープシコードを使ったりするのは心憎い。曲としてもcarol for another Christmasなんかを気に入っている。ディケンズの『クリスマスキャロル』をドラマ化したもののテーマ曲らしい。それこそ文学ネタの投稿に使えそうな話。思えばディケンズのあの作品も、物語の展開をふまえたら'another'をつけると感慨深くなる。どちらが現実で、どちらが「もう1つの」ものなのかは、読者の解釈次第だろうけど。

 

 

話がとぶけど、ずいぶん前にピーター•バラカン氏が「Another stories(historiesだったかもしれない)みたいなTVタイトルは恥ずかしいからやめてほしい。anotherのあとに複数形は絶対にない」というようなことを何かに書いていた。おそらくタイトルをつけた人は「物語(歴史)の裏側」みたいな感覚でつけたんだろうね。原因としては単数、複数への日本語の意識が希薄であることが大きい。たくさん人がいる、とはいうけど、たくさん人達がいる、とは言わない。犬達、猫達、ともあまり言わない。正確なのは達がつくほうなのになぜだろう。逆に英語で唇がたいていlipsと書かれるのが不思議だったが、たしかに上唇と下唇、二つある。口説き文句でTake my lipなんてsをつけ忘れたらどちらかだけにキスされるんだろうか。Close your eyeといったら片目だけ閉じてウインクされたり。いずれも少しマヌケな気もするけど見てみたい気もする。

 

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