スクリーンタイムの話から、知識の話
昨年末くらいからスマホのスクリーンタイムを減らそうと試みている。理由はたくさんあるけど、端的に言えば色々な意味で無駄と思ったから、というべきか。しかし新年になり、というか一月二週目になってグッと増えてしまった。理由は明白、大相撲初場所です。移動中でもどこでも、その日の取組をほとんど見られるんだもの。そりゃ見ちゃうよね。野球が始まったら、と考えると恐ろしい。U-NEXTに入れば横浜主催試合なら見られるし、他球場でも速報をチェックできてしまう。電車移動中なんかに「逆転のチャンス、ここでバッター宮﨑敏郎!」なんて時にスマホを触らずにいられる自信はあまりない。どうなることやら。
それはともかく、色々な無駄といったが、それらは時間やバッテリーでもあり、情報でもある。やはりインターネットを開くと自分に関係のない人の、関心のないニュースなども目に入る。ふうん、こんなことあったのか、とか意識しなくとも認識していることもある。人の脳ってすごいと思ったり、自分ってやはり俗物だなと思ったりする。
興味ないことはもちろん、たとえ関わることでも知らない方がいいこと、考える必要のないことなんか山ほどある。おとぎ話だったか、誰かが蛇に足を使わないのにどう歩んでいるのか聞いてみたら、蛇は考えすぎてスムーズに動けなくなった、というのがある。あながち蛇を馬鹿にできる話でもなくて、スムーズに歩んでいたのに何かを意識しすぎて失敗、なんてのは人にもよくある。考えることは必要でも、考えすぎることは基本的に不要だ。
さて関係あるようで、全くない話にとぶ。先日教えてもらった動画でハーバードの首席卒業生がスピーチをしているものがあった。彼女はイスラエルのガザ侵攻に反対の意を示した教授が退職を強いられたり何人かの学生が処罰されたり卒業できなかったことに触れた後、「知らないことの力」を述べる。知らないというのは、そこから共感や謙虚や学びを得られる倫理的な立場である。不確実性(知らないこと)から人は居心地の悪さを覚えるけれどそこから目を背けず、そして物事を決めつけずに、知らない世界に身を置きにいく姿勢にこそ意味があると。
いやあ、SNSやYouTubeで、したり顔で威勢の良いことを言って偉そうにしている人達にもぜひ噛み締めてほしい。蛇の考えすぎが悪影響なのと同様、偏った知識で思い込むくらいなら、それこそ何も知らないという態度でいる方がずっと立派だ。
さて件のスピーチはエミリー•ディキンソンの詩を引用して終える。
Not knowing when the Dawn will come,
I open every Door
朝焼けがいつ来るかわからないけれど、私は全ての扉をあける
スピーチの締め括りの表現としてもお見事。詩の引用箇所からもなんとなくわかるかもしれないけど、ディキンソンはどちらかというとネガティブなイメージのある詩人だ。もちろん死や神の不在、儚さを題材にした作品も素晴らしくて、たまたま昨年の秋に自分もディキンソンの対訳のついた詩集の文庫本を買っていた。上記の詩は知らなかったけど(不勉強!)、基本的に陰鬱とした感じのディキンソンがこんな力強い素直な言葉を残しているのが余計に嬉しかった。
https://youtu.be/SOUH8iVqSOI?si=bSxc-cZDYxNY5Egc