Je pense, donc je me promène.
ある付き合いの長いピアニストとの話。彼はスポーツにほとんど興味もないし(オリンピックも大谷翔平も知らないくらい)、運動も好きではない。でも「やりたくてやっているわけじゃないよ」と言いながら、ほぼ毎日走っているという。体型維持、と思いきやそうでもないらしく、飲食は全く節制していないとのこと。
人間が健康的に過ごすには(生物として)その程度の運動が必要だから、ということだそうで。ある意味、野菜を食べる、夏には水分をとる、はやめに寝る、酒は飲み過ぎない、とかそんな話に近いのかもしれない。
自分はそんな話を聞いて「ほほお」くらいに思っていた。たしかに現代人は動かなくなりがちだよな、と。そんなわけで、ってわけでもないが、最近散歩の回数を増やすことにした。というか、時間さえあれば夕方に一時間くらい歩くようにしている。理由は単純、その方がよく眠れるから。最近寝つきは良いものの、途中で目覚める。色々と考え事をしてしまうので。
そんなわけで近所をひたすら歩く。なるべく知らない道を通ると色々発見もある。「この道があの道につながっていたのか」てなことから「前に誰かがほめていたパン屋はここか」なんてことまで。あと今住んでいる場所は生まれてから10歳頃まで住んでいた地域で、土地勘のある場所なもんで思い出すことも多い。適当に歩いてもなんとなく知っている道にでる。やはり子供の頃の距離や大きさがアテにならないことに驚く。広いと思った公園は小さいし、遠いと思った場所はやたら近い。
ある時に、なぜどの宗教も歩くのだろう、と思ったことがある。キリスト教の巡礼の旅があるし、仏教も歩く(ex 四国八十八ヶ所、三蔵法師, etc)。世界共通で、歩く行為は祈る行為に通じるのか?祈りは別にして、たしかに考えごとには向いている気もする。
コロナ禍で薬屋とホームセンターぐらいしか開いてなかった時期があったが、とあるホームセンターが驚くほど混んでいる、という話を聞いた。店のまわりを車が並び大渋滞、それが他の交通にも影響して警察まで出てきたとか。もちろん元気あふれる小さい子を家で扱うのが大変だとか様々な理由があったんだろうけど、やはり皆外に行きたいんだな、と思った。パスカルの有名な言葉で「人は一つの部屋でじっとしていられないことから不幸が始まる」というのがあるけど、人は悩みや気の重さから、外に出ざるを得なくなるのかもしれない。
「我思う故に我歩く」なのか「我歩く故に我思う」なのか。どっちでもいいけどまた散歩しよう。