>

Kyohei
Abe
OFFICIAL BLOG

阿部恭平の
ブログ

阿部恭平の広告

阿部恭平のINSTAGRAM

Vol.089
2019 02/17 Sun.
カテゴリー:

ルーアンを思い出す

先日知り合いがルーアンにいると知った。懐かしい。なぜか朗らかな気持ちになった。
考えてみるとルーアンに行ったことはあるものの、半日も滞在しなかったし、とても楽しかったかと言われると甚だ疑問であった。
ルーアンにはフロベール(小説家。個人的には20世紀最高の作家と言われるジョイスもプルーストもフロベールがいなければ存在しなかったと思う。ジョイスは伝記に少し触れたら強く意識していることがわかるし、プルーストの「スワンの恋」の章はまるで「感情教育」だ)の生家、そしてモネの大聖堂があるということで、あまり観光に興味ない私が在仏中に行った数少ないパリ以外の土地だ。
到着して大聖堂を見上げるもまわりの観光客が取り付く島もなく写真を撮っている。モネの大聖堂の絵は個人的には(やや大袈裟だろうが)ヨーロッパの精神の象徴のように考え、荘厳なイメージを期待していたためなんだか興ざめしてしまった。それならば、と30分ほど歩いてフロベールの生家に行くも夏のバカンスで閉館。当時はウェブサイトも何もなかったもので、悔やみようがなく、ただ不運と言うほかない。
ルーアン駅に戻る途中、Le temps de fleursを演奏している楽団を目にする。父に勧められた映画「黒猫、白猫」で聞いたことがあるものだった。(その半年後くらいにシャンゼリゼ劇場でその音楽担当していた、ゴラン・ブレコビッチのコンサートを見ることになるとは当時も知る由もない)
哀愁漂うメロディーから「ああ、自分が出て行ってから祖母は1人で元気に暮らしてるだろうか」などと家族を思い出した。
当時ジャムセッションも大抵バカンスで休み。入りたかった音楽院も夏休みで秋入学。富山弁なまりの日本語を話す、あるいは英語の得意なフランス人2人ぐらいしか友人らしい人はおらず、彼らともそんなしょっちゅうは会わない。日常的にフランス語で会話することは皆無に等しい。言葉を聞いてもわからないし喋れない、という状態だったもので「このまま滞在して、何が身につくのだろうか」と陰鬱とした気分になる。その時読んでいたのが永井荷風の「ふらんす物語」だったということも関係あるかもしれない。
せっかくだからと景気づけに駅前で名物シードルを頼むと値段は高く、1人で飲むには量が多すぎた。若干悪酔いしながらパリに帰る。

それだけのルーアン滞在であったのにも関わらず、なぜかルーアンの名前を聞くと懐かしさに頬をゆるめた。坂口安吾の言葉のとおり「人間の過去はいつでも晴天 らしいや」ということだろうか。不思議な感覚を得た。

この投稿をシェアする
WEBブラウザでFacebookアカウントにログイン状態にするとコメントを残せます。
Vol.088
2019 02/03 Sun.
カテゴリー:

平凡な、稀有な1日

2/2が終わった。個人的に私がある種の敬意を払う人達の誕生日だ。ハイフェッツ、クライスラー、ジョイスの3人。元々私は低音楽器ということもあり、チェロの音などを好んでいたのだけれど、自分から意識的にバイオリンを聞くようになったときにはやはりバッハのシャコンヌに惹かれた。で、その中でもハイフェッツのシャコンヌが1番魅力的に感じた。
シャコンヌやマタイ受難曲、ベートーベンの第九など素晴らしい曲は山ほどあるが、安っぽい音色でやられても心が揺り動かされるようなことはない。どれだけ完璧に譜面の音を再現しても機械の音ではBGMにしか聞こえないだろう。それだからこそ演奏の意味はあるし、責任もあると言える。そういう意味ではハイフェッツのニュアンスは私にとって最高の部類だった。CD屋などで「これ誰だろう?良いバイオリンだな」と調べに行くとハイフェッツ、ということもよくあった。
クライスラーも個性的なバイオリン奏者と思うが、正直に言ってハイフェッツほど心が惹かれることはない。録音が少ないのもあるかもしれないが。ただバイオリンの名曲を多く作った姿勢はすごく好ましい。何でも作る作曲家も魅力的であるが、一つの楽器にこだわるところに職人らしさを感じる。ラフマニノフ、ショパンしかり。
ジョイスは大学の頃に最も熱中した作家だ。モダニズム文学として、手法やアイディア、難解さなどを評価されることが多いが、何より彼のテーマが好きだった。人間は完璧でなく、聖と俗が共存して成り立っている。不倫におぼれる女性も過去を思い出し夫とやり直そうと決意することもあるし、特に面白みもない平凡な男が苦悩する青年を救うこともある。(このへんは長くなるので割愛。興味ある方はユリシーズなどをどうぞ)
いずれにせよこのような私のアイドル達が20世紀前半にはヨーロッパのどこかでこの日に何らかの形で誕生日を祝われていたのだろう。そう思うと何でもない1日が、稀有なものに感じる。また来年もこの日にはこんなことを考えてるのかもしれない。

この投稿をシェアする
WEBブラウザでFacebookアカウントにログイン状態にするとコメントを残せます。
Vol.087
2019 01/23 Wed.
カテゴリー:

山の手生まれの曲と赤坂氷川の話

昨日河野文彦君の全曲オリジナルライブを終えました。メンバー、関係者の皆々様お疲れさまでした。
彼との付き合い15年以上で、私にとってはかなり長い方でそれなりにオリジナル曲を理解しているつもりだけど、にしても全曲オリジナルっていう意気込みは立派だなあ、と思います。あとどの曲もメンバー全員参加という形もよかった気がします。たまにデュオとかもアリだとは思いますが、やはりライブ全体の一体感やバランスはずっと保てますね。
オリジナル曲は素直で正直なものが1番、とつくづく思います。自分もたまに作曲めいたことをやるのですが、表現に乏しいのですが、正直に作れなかったものはやはり根付きませんな。「なんか変化入れよう」とか「馴染みやすい形にしよう」とか妙な背伸びや妥協をすると、結局その曲に興味なくなっていくもんです。その点河野君の曲はさすがたくさん作曲しているだけあって、とにかく彼らしくて潔い。改めて実感しました。
で、今日はこれから赤坂でライブです。なんと年末からハマっている勝海舟邸宅のそば。早めに行って眺めてきます。あ、もちろんライブもよろしくお願いします!

この投稿をシェアする
WEBブラウザでFacebookアカウントにログイン状態にするとコメントを残せます。
Vol.086
2019 01/08 Tue.
カテゴリー:

年も明けまして

昨年末のことですが、ホームページリニューアルしました。あるロゴをおすと、まるで某球団関係者のように…。野球が好きな方は楽しんでみて下さい。あ、戻るときはメニューバーでどうぞ!
年明け頃は久々にプルーストの「失われた時を求めて」を少し読み返しました。私が学生時代に何かとお世話になったフランス文学の教授が数年前に評論を出していたことを知り、それを読んだのをきっかけに。
プルースト個人の哲学や美学めいたことがそこら中にあふれている小説なのですが、その中で特に有名なもので「文体とはテクニックの問題ではない。画家と同じく視点(ヴィジョン)の問題なのだ」というのがあります。なるほど、美辞麗句、語彙の多様さなどという問題ではなく、人の心にせまる文も結局は視点によるものか。
音楽、演奏にも通じそうな気はするもので、ちょっと考えてみたけれど、そこまで鮮やかな例えはないかもしれませんね。視点=目に対して耳、と考えるべきだろうか。しかし絶対音感のある人皆が素晴らしい演奏をするわけでないし、曲や音を記憶するのが遅い人がいざ演奏となるとすごく魅力的であったりする。演奏にとって作家の文体、画家のタッチに値するものは音色ということになるんだろうけど、ではその音色の土台は何なのか。
そんな意味あるような、ないようなことをたまに考えつつ年始を過ごしております。楽しみなライブもいくつかありますが、1月はのんびりしたペースです。
ともあれ常日頃のことながら、日々精進していきたいと思っておりますので、改めて今年もよろしくお願いします!

この投稿をシェアする
WEBブラウザでFacebookアカウントにログイン状態にするとコメントを残せます。
Vol.085
2018 12/23 Sun.
カテゴリー:

行蔵は我に存す

 

最近、勝海舟に興味を持って「氷川清話」を読んだ。元々優秀な政治家と思っていたけれど、いわゆる江戸っ子気質のような語り口とさっぱりとした中身にますます好感を得た。鎖国された社会から海外に行き、海外に染まりきってもいないし、ナショナリズムに染まってもいない。江戸時代の人間として赤穂浪士を罰した荻生徂徠を認める点も(丸山眞男とは違う意味で)面白い。リベラルというか、すごく様々なことを客観視出来たのではないだろうか。
さて本の中にあるわけではないが、福澤諭吉とのやりとりは面白い。福澤諭吉は幕府の人間だったのに明治政府におもねるような立場になった勝海舟を批判する。勝は以下のように返したと言う。

「行蔵は我に存す。毀誉は人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。各人へ御示し御座候とも毛頭異存これなく候」

行動の責任は自分にあるが、誉められる貶されるは人が決めることで自分の問題じゃないよ。何を言われても特に意見はないのであしからず。

ってなところだろうか。内心は福澤を所詮学者、と思っていたようだが、皮肉を込めて「異論はない」と返しているのも上手い。

勝海舟の皮肉はともかく、何かと人の評価や印象やらがよぎる社会においては見落としがちの精神のように感じるもんで、自戒のようにたまに思い出す言葉ですね。特に「誰とやった、どこでやった、どんなことやった」などという泡沫のようなことで評価されることの多い、演奏に関わる人間なんかにはそれくらいがちょうど良いのかもしれない。とはいえ、本質をつくような意見には心して聞くし、すごく勉強になることも多いけれど。

この投稿をシェアする
WEBブラウザでFacebookアカウントにログイン状態にするとコメントを残せます。
過去の記事を読み込む

阿部恭平のブログカテゴリー

阿部恭平のブログアーカイヴ

阿部恭平のブログ検索

一番上に戻る