希望も絶望もやっぱり虚妄
今月の前半に母の日ってのがあって、昔からこの手の記念日がよくわからない。父の日、こどもの日、敬老の日など。「お母さんに感謝しましょう」って企画なんだろうが、母の日以外も感謝してるでしょうに。何か(プレゼントを)買え、花買え、どこか行け、どこかで食え、の消費活動の推進にしか思えない。ハロウィンやバレンタインと同じく。と、まあこんな風に文句並べるのって幼稚なんだろう。
そんな私も何日か前に歳を重ねた。上記のように「誰かに決められた記念日(?)」みたいなものはともかく、誕生日と命日は昔から多少気にしている。ただ誕生日当日にライブを開いたことはない。別に避けているわけでもないのだが、その前後の日にたまたまライブが入ったことはあったと思うけど、当日はなぜかない。何年か前に当日にイベント演奏を依頼されたこともあったが、コロナ感染者数の増加につき流れた。縁がないのかな。どっちでもいいけど。
家族を含め、何人かからお祝いの言葉をもらう。ありがたいことです。めでたいことはめでたいし、自分も人に対しては一つ覚えのように「おめでとう、充実の年を」と伝えている。「今まで(一応元気に)過ごせておめでとう、今後も(いいことばかりではないだろうけど、悪いことばかりでもないと信じて)充実の年を」私から上記のようなメッセージを受け取った人、どうか定型文の挨拶だと思わないでいただきたい。単に他に思い付かないだけなんで、他意はありません。
まあ人からもらったメッセージはともかく、自分にとって特別な日であった。というのは自分の母が亡くなった年を正式に越えたから。前にも書いたかもしれないが(たぶん私だけじゃなく)身近な人、特に肉親などを失うとその年齢を意識して過ごすものだ。自分は子供の頃からその年齢になれるか、時々疑っていた。それが去年で並び、今年で越えた。自分以外の、天の上の誰かさん(@タイタンの妖女)もきっと喜んでいることだろう。
小言から始まり、辛気臭い話になったけど、これはすごく前向きな話でね。意識しないようにしても、うっすらと意識していた自分の寿命らしきものの基準を1つ越えたわけです。よくここでも学生時代の話なんかをするけど、そこから二十年が本当に早かった。おそらくここから先の二十年はもっと早い。思い立ったが吉日(誰ですか、立つが命日、とか言っている人は?)、の精神で、より前向きに、元気に過ごしていこうと思いますので、今後ともよろしくおねがいします!









