2024 6/16
James Joyceの『ユリシーズ』の舞台の日が1904年の6/16で、今年で120周年。先日120回目のBloom's dayを迎えたことになる。一応(と意味なくつけておく)、自分が人生で一番時間をかけて読んだ作品はそれということになる。もうずっと昔のことだけど。
自分はあの難解な『ユリシーズ』のどこに惹かれたのか、たまに考えてきた。例えばフロベールの『感情教育』フォークナーの『響きと怒り』、あとプルーストの『失われたとき』など、好きな作品は他にもたくさんあったし、(ユリシーズの)混みいった文体を使い分ける手法などにはそれほど興味なく、好みとしては圧倒的にフロベールの文が最高だった。
改めてどこがいいのか、と聞かれると、正直に言えば「なんとなく」としか答えようがない。スティーブンが2章で補習で生徒に勉強を教えながら「この出来そこないのガキ、いい加減にしろ」と思いながらも「でもこの子にもこの子を愛する母親がいる」とよぎる場面、3章でいまわの際の母親から「私の安らかな最期のために神に祈っておくれ」と言われて「僕は神を信じてないから祈れない」と断り、そのことを思い出す場面。4章で髭を剃りながら身の回りの亡くなった人を次々に思い浮かべたり、13章の海辺で若い娘に欲情して(しかも娘もそれを知っている)その後自分の妻が不倫していることを思い出すブルーム。挙げ出したらキリがないが、そういうところが自分のなかには残っている。様々な文体をもちいた、ギリシア神話を現代にうつしかえた、たった一日を作品にした、とかそういう要素はさておき(もちろんそれはそれで素晴らしいんだけど)、結局のところ細かな部分が好きなんだろう。細部に神はやどる。『ささやかだけど大切なこと』なんて誰かの小説もあったね。
そうそう、途中に競馬の場面もある。新聞をもつブルームに(彼が競馬を予想してると思い込んだ)友人が「よお、新聞は(競馬予想は)どうだい?」と。ブルームは「ああ、ちょうど捨てよう(throw away)と思ったところだ」とかえす。その日たまたまthrow awayという馬が走るから、友人は「そうか、Throw awayか!」と思い込む。結果的にそのThrow awayという穴馬がレースを勝ち「ブルームのやつ、大もうけしたな」と夕方には噂になり、そのせいで酒場で妙な男に絡まれてしまう。
そういうコントのような、冗談みたいなエピソード含めて好きだ。私が長年馬券を買おうが買うまいが、なんだかんだと競馬のチェックをしているのも『ユリシーズ』に対する敬意と文学的献身によるもの…ではないね、うん。
週末、ドウデュースがんばれよ









