If this isn't nice, I don't know what is
先日また1つ歳をとった。お祝いのメッセージをくれた方々、ありがとうございました。他の皆様、ただ日付がかわっただけで、とうに過ぎた話。どうかお気になさらず。
誕生日を迎えてしばらく経った頃、自分の駐車場の後ろに紫陽花が咲き始めたことに気づいた。自分は青いやつが好きでこの季節になると、そこにたくさん並ぶ。もう少し近づいて見ようと思い、1メートルくらいの段差に片脚をかけてよいしょっと登ろうとすると、ぐらっと揺れて落ちて転んだ。一応とっさに手は守ったので腕と膝を擦りむいたくらいですんだけれど、それを後ろから見ていた隣人の「大丈夫ですか?」という声が聞こえた。「大丈夫ですよ、ハハ」と言いながら逃げるように車を出した。恥ずかしい、痛い、情けない。
若い頃も転んで怪我くらいはしたことあるけど、ここ最近で最も老いを感じた。しかし演奏やらに支障のある怪我にならなくてよかった。運がいいとは思わないが、悪運ってやつである。車がパンクしてもすぐ近くで修理できたり、バッテリーがあがってもその日だけは車を使わずになんとかなったり。(今年の上半期だけでこのトラブルの数。どうなってるのよ、とは思うけど)
ともあれ、自分は悪運が強いと思う。予想外のトラブルにアタフタするけど「ま、最終的にはなんとかなるだろ」てなもんで。昔話だが高校受験の際に1つだけ五分くらい(行きたいわけでもなかったが、塾から受けるように言われた)、他は合格見込みだったのに、4つ受けて3つ、一次試験で落ちていた。唯一受かっていた第一志望の二次試験の結果を待ちながら、地元の公立高校の受験までした。第一志望のところの手応えはあまりよくなかったから、その試験の昼休みに「ここの高校に通ってもいいかもな、意外と楽しいかも」なんて一人で窓から校庭を眺めたのを覚えている。帰宅したら第一志望のとこに受かっていたと知らせを受けた。良かった、嬉しい。しかしあの昼休みの感慨はなんだったのか。
そういう例が山ほど思い出されるもんで、何かと「なんとかなるだろ」と妙な油断、慢心のような楽観がある。良いことか悪いことかよくわからない。端から見たら不運、不幸なのに昔のことで勝手に忘れているだけかもしれないし、そのうち痛い目にあうのかもしれない。もしくはただ呑気なだけか。
数日前、時間があったからすごく早めに家を出て、ライブ前に(楽器はお店のものを使えるので身軽に)上野公園をぐるっと歩いた。いい天気で、まだ暑すぎず散歩するなら今だ、と思ったから。それこそ紫陽花やら他の花も多く、観光客らしい外国人もたくさんいた。途中で珈琲を買い、日陰のベンチに座って池を眺めて過ごした。If this isn't nice, I don't know what is、というヴォネガットの言葉を思い出す。理想ややりたいことがないわけではないし、良いことばかり起きているとは思わないけど、意外と恵まれている方じゃないの。そう思った。









