三人のフランス人と一人の日本人
今年の春くらいから、とあるフランス人とのやりとりが始まった。何も言わずに彼の好きなジャズマヌーシュの演奏動画を送ってくる。「お久しぶり、お元気ですか?」とか「このギタリスト、おれも好きですよ」とか返しても返事はない。10日に1回くらいのペースで動画を送ってくる。自分もグッドマークをかえしたり、お気に入りの動画を送ったりする。なんとも不思議なやりとりだ。不思議といえば彼は88歳。どう知り合ったのか、説明すると少し長くなる。
かつて自分が20代になった頃に知り合ったフランス人がいた。彼は自分より20歳近く年上で、たまに彼が観光で日本にくると会うというパターンが続いた。ただし自分はフランス語もまともに話せず英語で話していた(彼はフランス人にしては、というと嫌味だが、英語が堪能だった)。パリに留学を決めた頃に彼に相談すると色々とアドバイスをしてくれたし、アパートが決まるまで彼の家に居候させてもらった。パリの区立の音楽院のコントラバスの師匠を紹介してくれたのも彼だし、ジャズが好きでちょくちょく一緒にコンサートにいったりご飯を食べたりした。日本の友人がディープインパクトを見に凱旋門賞にくる、と話すと「ロンシャン競馬場は駅から遠いから、おれが車出してやるよ!」と日本からの友人共々つれていってくれて、みんなで馬券を買ったりした。
週に3回くらい会うと思ったら、1ヶ月くらいあわないこともあった。仕事が忙しい時もあっただろうし、時々精神的に不安定になっていたので、こちらから無理には誘わないし都合があえば会った。元気なときは「これでこの人、朝から晩まで働いてるんだよな」と思うほどだった。
ある日彼に「両親が来ていて、ご飯あまりそうだし一緒に食べに来ないか?」と言われた。父上はランボーなどフランス詩を専門とする大学教授、母上は理科系の高校教師だった。さすがにフランス語にも自信がついていた頃で、文学の話もできて楽しく過ごせた(だから彼も声をかけたんだと思う)。
彼の父上が冒頭の動画を送ってきた人である。ね、長い話でしょ。自分の帰国後は彼が来日する度に会ったし、日本に両親を連れて旅行に来て、麻布あたりで食事をしたこともあった。
ある時、友人である彼の訃報をうける。その数年後、フランスに行くので彼の墓参りをしたいと伝えた。墓は彼の実家近くにあるとのことで、彼の両親、とりわけ父上と連絡をとった。「パリに日帰りするのは(電車の本数が少なくて)無理だろうから、うちに泊まりなさい」と言われた。駅につくと二人で迎えにきてくれた。彼の墓参りをしたあと、三人でずっと話した。息子のこと、日本やフランスの歴史や文化などなど。次の日にパリに戻る際にも駅まで送ってくれて、彼のお母さんが電車の中で食べて、と手作りのサンドイッチを渡してくれた。
息子の友人とフランス人夫婦との不思議な一夜。数回しか会ったことのない日本人の青年(当時)を泊めてくれるなんて実に優しくてありがたいけど、彼らはどういう感覚だったんだろう、とたまに思いだした。おとぎ話みたいだ。その後、帰国してからお礼をこめて自分の参加したCDを送り、「またゆっくり遊びにおいで」とのメッセージをもらった。それからSNS上でなんとなくお互いの活動を見ているようだった。昨年、お母さんが亡くなったことを知った。残されたお父さんは一人で大変だろうな、とたまに思いだしていたら、冒頭の動画のやりとりが始まった。
しかしそれがこの6月に入ってから途絶え、身内の方から彼が亡くなったことを聞いた。息子をなくし、妻をなくし、あの家で一人過ごすのはどういう日々だったのだろう。新しいCDが完成したら、またフランスにいったら、と思っていたが、全てはもう遅い。It's too late, c'est trop tardというやつである。
その知らせを受けた日、いなくなった三人を殊に強く思いながら過ごした。実家に泊まらせてもらった時「君はチーズ好きだったよね。今夜はフォンデュだ」と目の前で作ってくれたことを思い出した。白ワインをなみなみと注ぎチーズを溶かしていく。最初の一口を食べると、まだチーズにワインがたっぷり残っている感覚が印象的だった。
その夜、普段は演奏が終わった後にせいぜいビールかハイボールを一杯飲むだけの自分が、演奏の合間に「白ワインありますか?」と聞いたもんで、お店の方に驚かれた。









