カツサンドを食べるときに我々が語ること
カツサンドがたまに食べたくなる。自分がトンカツとパンが好きなもんで、その最高の組み合わせなんですね。カレーも好きだけどカツカレーはあまり食べない。最後の晩餐は美味しいカツサンドでもいい。
カツサンドは素晴らしい。かさばらない。時間かけずに食器がなくても食べられる。大きくなくてもそれなりにお腹が膨れるし、逆に空腹でなくとも食べようと思えば食べられる。差し入れにもピッタリ。実に良くできている。ただ今まで食べた中でどれが一番だったか、と聞かれると悩ましい。どれも美味しいけど。
まずトンカツ屋さんの作るカツサンドとパン屋さんの作るものにそれなりの違いがある。どちらかの手を抜くという意味ではなく、パンとカツ、どちらにpriorityを置くかという問題だ。
結論から言うと、完璧なカツサンドは存在しない気がする。理論的にはパン屋さんとトンカツ屋さんが各々の長所をだせばパンもカツをそれぞれ単品で見て最高、という至高のカツサンドができるかもしれない。ただそれが必ずしも美味しいかどうかはわからない。あの安っぽいフニャフニャのパンがいいのに、とか、ソースたっぷりの薄っぺらい肉が美味い、とか。人間何かとケチをつけることがある。
思えば不完全だからこその個性というか、食べてみて「これはパン屋さんらしいサンドだな」とか「さすがトンカツ屋、良い肉だね」なんて感想が浮かぶくらいがちょうどいいのかもしれない。これはカツサンドに限らず色々なことに通じるのかな。探偵小説を書く作家の雑文が面白かったり、ロックの歌手がジャズスタンダードを歌うのにグッときたり。逆もまたしかりで、看板に偽りありというか期待はずれのこともある。いずれにせよ、本物か偽物か、とかそういう話は資産価値の査定なんかの話でね。パン屋さんでもトンカツ屋さんでも、洋食屋さんでも中華屋さんだって、懸命にカツサンドを作って、それが美味しかったらそれでいい。美味しくないなら、もう食べない。それだけのことである。
さて冒頭の話。最後の晩餐カツサンドでもいい、と書いたけどカツサンドを喜んで食べるような人は結構元気なんじゃなかろうか。そもそも体調の悪い人は最後の晩餐に好物を選べないだろうな。人はこういう仮定や妄想を好むものですね、「無人島に持っていくレコードor本は?」とか。こんな妄想自体が無益なんだろうけど、こんなことを考えて自分が何を好んでいるか、何を親身に感じているか、に気づいたりもする。
カツサンドだって元々は無益な妄想からの産物なのかもしれない。









