ある動物病院の風景
10年くらい前の話。飼っていた猫がいわゆるキャリア持ちだったため、定期的に病院に通う必要があった。ある日、病院の待合室にいると、ある婦人が駆け込んできて「急患です!」と受付で声をあげた。バッグの隙間から苦しそうに声をあげる猫の顔が見える。そのまま女性は猫を抱えて診察室に入っていった。しばらくすると女性は目を腫らして出てきた。待合室に一人しかいない私の方をむくと「順番をぬかしてしまい、すみませんでした」と頭をさげた。とんでもないです、と返し、安否を聞けずにいたら、すぐに「間に合いませんでした」と泣き始めた。「そうでしたか」と返すと「こんなことなら家族で看取ってやればよかった。私が無理にここに連れてきて余計に辛かったかもしれない」と落ち込む女性。私も「(猫ちゃんにも)なんとかしてあげようと、必死になっていたことは伝わったかもしれませんよ」などと言う。うちの猫の名前が呼ばれたので「お辛いでしょうがご家族のみなさん共々ご自愛ください。失礼します」と言い診察室に向かう。
いずれはうちの猫にもこういう日がくるとか、苦しんでいた猫の表情とか、様々なことが頭をめぐる。重い気分でドアをあけると先生は「はい、こんにちはー」といつも通り。嫌がるうちの猫に「はいはい、ごめんねー。ちょっと太ったかな?運動かご飯節制した方がいいかもねえ」なんてハキハキと喋る。「とりあえず元気ならいいんで、、」とこっちは暗く返す。
いやはや医者のメンタルはすごい。いちいち落ち込んでいられない、というのが当たり前の世界なのだろうけど、逆にこの切り替えがなんらかのストレスになっていてもおかしくはない。自分は医者じゃないけれど、負担にならない程度に見習いたいとすら思った。終わったことよりも、これからのことの方が大事なのはどんな人にとっても共通だ。そもそも何度も振り返ったり、しがみつきたいような過去もないんだれど。
思えば猫と暮らした10年の間にそれまで知らなかった色々なことを目にしたものだ。前にも書いたかもしれないけど最初に大きく体調を崩したのが元旦の夜中だったもので、対応できる特別な病院に行くしかなかった。いきなり一日入院することになって費用も特別だった。その年の二月、元旦の一ヶ月後に渡仏する予定だったんだけど、その飛行機代よりも高額だったことを覚えている。
他に病院も知らず、初めてのことで平均価格も知らないのでしばらくはそこに通ったが、駐車場にはいつも高級車が停まっていた。医者も常に数人は常駐しており、入り口にはその日の来院目的など尋ねてくる執事みたいな人もいた。ある日猫が血尿をしたので急いで連れていったら、血液検査を、と言われた。その時点で家賃ぐらいの請求になると察した。猫の体調と支払いを気にしながら待合室に戻ると、自分より先にいた薄着で若く細い女性がいて治療を終えた犬を抱いていた。よかったわねー、などと愛犬に声をかけながら、会計で(私の当時の家賃以上の額を)現金でサッと払って嬉しそうに帰っていく。治療を終えたら本来彼女みたいに気持ちよく帰りたいのに、他のことで少しでも気が重くなっていた自分が情けなかった。お金は何かを買うとか、ストレス発散とか、そういうためだけではなく精神的にも必要だと実感した。しばらくして近所の病院を紹介してもらって、そちらに9年くらい通ったことになる。
思えば動物病院に行かなくなって3年になる。半年ほどは関わった執事みたいな人や、9年間二週に一度は必ず顔をあわせていた先生にも、もう会うことはない。そう考えるとしばらく会わずとも関係が続く間柄というのは恵まれているものなんだろう。そういうことを含めて動物病院という場所を通じて思ったことは色々とあった気がする。
いなくなって三度目の盆に。








