2024年末のご挨拶
12月。今年はこのブログでもぼやいたが、腰というか足の不調が実に長かった。今でもたまにしびれて、なんというか、正座したあとのような感覚になる。以前はもっと多かったけど、最近は気づくのが一日に10回以下くらいになったかな。動いている時にはまずしびれないし、本当にただジーンとするだけなので特に支障はない。最初のうちは大病も少し疑ったけれど、どう考えても良化しているのでもうあまり気にしないようにしている。自分の判断では梨状筋のコリですね。治ったと思ったらやっぱりしびれる。三歩進んで二歩さがる、自分の日々の取り組みと同じようなものだね。そろそろ完治しそうな気もするけど。
さてそんな足や腰の不調から今年の夏にはゴロゴロしながら武田百合子の未発表の随筆を読んだのだが(以前にも触れたかな)、夫、武田泰淳の死に関する感情が露になっていた。元気そうなおじさんを見ると「なんでこの人は元気なんだろ」と、同年代の女性をみると「この人の連れ合いだってそのうち亡くなるぞ」と思ったり。アメリカ人の知り合いから電話がきたとき娘が英語を間違えて「私の父は亡くなりました」というべきところ「私は父を殺しました」と言ってしまったかも、という話では、たまに夫の泰淳が「とっておいてくれ」と言ったそのアメリカ人とやりとりした手紙の写しを見つめながら一人つぶやく。「私の夫は亡くなりました。私が夫を殺しました」
人は何かと罪悪感を覚える。また相手にその気がなくとも勝手に落ち込んだり、イヤなことを思い出したり悪い感情を持ってしまうこともある。いつもの淡々とした描写ともまた違うし、武田百合子が発表しなかったのも、そういった感情が抑制できていなかったから、かもしれない。苦労話を聞いて「お気の毒に」なんて言いながらどこかで覚える「自分じゃなくてよかった」という安堵感、あるいは自慢話を聞いて「すごいですね」とニコニコ言いながら「調子にのっちゃって」とよぎる反発心。色々と思い当たる気もするね。こうなると、どうも性悪というか、ネガティブな話になってしまっているが悪いことばかりでもない。そういう安堵感から誰かに優しくなることもあるだろうし、反発心から何か強いエネルギーが生まれることもある。そういえば武田百合子も執筆活動を本格的に始めたのは夫の死後だ。
まあそんなわけで今年もやっぱり色々困ったこともあったけれど、今後良い方向に昇華できたら、と思う。年をとることに抗えないように、イヤなことが起きるのでも個人では背負いきれないことが多い。問題は、というか、できることは、その後の行動や心持ちしかないんだろう。
さて月並ですがご挨拶を。皆さんも良いことばかりではなかったでしょうが、どうか良い心持ちで今年終盤を過ごしてもらえますよう。会ってお話できた人も、会えずとも応援してくださった方も、ありがとうございました。それこそ自分では何事も歩みが遅いなあ、と忸怩たる思いもありますが、来年からもより良い演奏ができるよう、そして「聞きにいきたい」と思ってもらえるよう励みます。まだ今年の演奏もあってやや早めな気もしますが、どうか良いお年を。