余計な検索と過剰なAI
気になったことをGoogle検索。今となっては当たり前のことですね。英語でもgoogle it !と言ったり、フランス語でもgooglerという動詞があると、10年以上前に聞いた。日本語も洩れず、ググる、ググれと言うスラングがある。
たまたま(といっても、興味もってたからだけど)アウシュビッツを生き延びた人達のドキュメンタリーを見て、その中にプリモ•レヴィというイタリア人哲学者、作家が出てきた。彼はアウシュビッツの悲劇を繰り返してはいけない、と著作活動していたらしいが、ちょうどイスラエルがアラブ諸国と争いを始めた頃に自殺してしまったらしい。ユダヤ人でもある彼はイスラエルがナチスと同じようなことをやるのを見て、自分の無力さを思い知ったとか色々言われている。しかしあらゆる自殺がそうであろうが、理由なんてわからない。ただ痛ましい。
そこでふと、かつて見たウディ・アレンの映画にもそんなキャラクターが出てきたのを思い出した。ウディ扮する主人公がある哲学者のドキュメンタリーを作っていたら、哲学者本人の訃報が届く。理由はやはり、自らで、とのこと。哲学者の人類愛にあふれるメッセージに惚れ込んでいた主人公は彼の死と、ドキュメンタリー撮影中止に大いに落ち込む。
その映画の哲学者のモデルはプリモ•レヴィなのだろうか。興味をもって調べる。ウディ・アレンの作品名『重罪と軽罪』で検索。簡単なあらすじは出てくるものの、大事な哲学者の名前は出てこない。うーむ。ただ作品発表の時期はプリモ•レヴィの死の二年後。ほぼ間違いなさそうだ。
もしかしたら本人の映像を映画内で(実在の人物として)使っていたかもしれないし、役柄の名前を確認したくなる。『重罪と軽罪』に続けて、哲学者、といれて検索するも名前はでない。「この作品は哲学的テーマで」とかいう解説が多い。いや、そんな話いいんだよ。仕方ないからさらに、自殺、と入れて検索。すると「自殺教唆罪」とか「お悩みならばこちらにご相談を」とか目に入る。罪、という言葉に、自殺、と入ったからそんな検索結果になったのだろう。
結局タイトルを英語でいれて、英語のWikipediaで答えを知る。演じていたのは役者、しかし哲学者役の名には同じくLevyが入っていた。(ユダヤ人にありがち、ということもあるんだろう)
それはともかく意外と検索も面倒なものだ。そういえばだいぶ前に演奏で一度行ったことのある街の新着情報やニュースなんかが、Googleのニュースに入っていることがある。きっとかつて私が検索したのだから、関心あると思っているんだろう。場合によっちゃいい迷惑。哲学者の名を調べてるのに、こちらの心身を心配されても、ちっともありがたくない。アメリカの作家トマス•ピンチョンが文学賞授賞式をすっぽかして賞金、賞品を「いらないものはいらないのです。無礼に思われるでしょうが、何かを断るにはノーというしかないので、ノーと言わせてもらいます」とメッセージを送ったエピソードが好きなんだけど、思いきって「いらない情報(もの)はいらない」と払いのけてもいいのかもしれない。自分としても、それほど親しくない人の幸運にも不幸にも深く思うことはないし、野球の負け試合の内容なんか見ても面白くもなんともないわけで。そうなると「余計なお世話」ってのはシンプルで実に良くできた表現だと思う。