花咲く男子達のかげに
たまたまなんだけど、この一ヶ月くらいで母校二つに足を運んだ。先月初めに大学、つい先日に高校。大学はフランスからきた友人と神楽坂で会う予定で「その前に散歩でもする?」みたいなきっかけで。高校の方は最寄り駅から何駅かのところで新年会めいた集まりがあったから、集合時間の前にささっと散歩がてら。ごくたまに「今はあのあたり、どうなってるかな」などと思っていたが、きっかけがあれば意外と行動につながるものである。
どちらも共通しているのはやっぱり学校までの風景は大きく変わっている。記憶のない店などが多くできているし、以前に何があったか忘れてしまっているものも多い。高校の方になると普段縁のない私鉄なもので駅構内のデザインなんかも大きく変わっていた。不思議なのが風景がそれなりに違うのに、それでも懐かしい。視覚というより足の記憶なんだろうか。僅かな路面の起伏や坂道を歩くだけでも、なんらかの形で記憶を刺激するのかもしれない。階段の段差につまずいて記憶がよみがえったというプルーストの描写はやはり正しい。
校内を覗くとあまり変わらないところも多くて、そちらは紛れもなく懐かしかった。しかしこの30日くらいの間に10代後半から20代前半までを過ごした地域を立て続けに訪れるとは。なにかしらの人生の節目を迎えつつあるのだろうか。さらに20年くらい経って見たいと思うかどうかもわからないし、もしかしたら今回が最後なのかもしれないね。まあそれでもいいけど。
高校の駅の近くに焼き鳥を売ってる肉屋があって、焼き鳥を頼むと「かしら、きれた」「皮、ない」などとぶっきらぼうに売る兄ちゃんがいた。しかもたまに生焼けで渡してくる。(今ならクレームひどそうだ)当時から「あの人、態度悪いよな」などと友人と文句を言いながら笑ってた。まだやっているか覗きにいくと、やっぱり焼き鳥をめんどくさそうに焼いている兄ちゃんがいた。何年も彼のことを思い出したこともないし、顔も覚えていなかったが姿を見たらすぐにわかった。間違いなく彼だ。もうそれ相応に年を取って兄ちゃんという感じでもないし、あれから何本くらい焼き鳥を焼いたんだろう。彼も色々あったんだろうけど、やっぱり誰しもと同じように年を取っている。
さらにその帰り道、駅の構内の本屋(こちらも昔からある)に寄った。何かお土産になる本はあるかな、としばらく眺めていたら、令和八年一月一日に文庫として発売されたばかりのサリンジャーの未発表短編集があった。以前どこかに書いたけれど、サリンジャーの作品に初めて触れたのは高校の英語の授業だった。何かの縁のような気もしてそれを購入することに。「有料になりますがカバーはしますか?」と言われて、機嫌がよかったのか「ぜひお願いします」と答えた。









