主役と脇役
先月くらいからなぜかちょこちょこと小津安二郎の言葉を思い出す。今は昔、もう10年以上前に小津安二郎の生誕のシンポジウムに行ったんですが、そこで岡田茉莉子が出てきて小津とのエピソードを話してまして。岡田茉莉子が小津に「小津さんの映画の中で4番バッターの役者は誰ですか?」と聞くと「杉村春子」と即答。「じゃあ私は?」と聞くと「まあ1番というところかなあ」と言ったという。
杉村春子といえば有無を言わせぬ大女優だろうけど、小津映画の中で主役をやったことはなく脇役ばかり。戦後のほぼ全作品に出ているとはいえ、特に岡田茉莉子が小津映画に出始めた頃などは特に出番が少なくなっている。小津遺作の『秋刀魚の味』なんか出てくるのは1,2分。自分の父親に文句を言って、静かに泣くだけの1シーンだ。(だけ、と言っていいのかわからないけど)
ある作家が「映画もドラマも脇役で決まる」と言っていて、それもわかる気もする。主演は限られた人がやることが多く、その人が出る数々のドラマも必然的に評価が分かれるけれど、そういった要素を脇役が握っていることも多い。いずれにせよ杉村を「4番バッター」と語る小津は自分の映画をどう思っていたのだろうとか、これは音楽にもつながるなあとしみじみ思ったり、色々と考えさせられている。
そんな中、たまたま先日久々に小津の『お早よう』を見たが、この映画では特に杉村春子の出番が多く、慌てんぼうで自分勝手だけど憎めないオバサンを見事に演じている。かつては『欲望という名の電車』のブランチ役で名をあげた人が姪を結婚させようと目論むオバサン、親を面倒くさそうに扱う中年オバサン、そして悲しいシングルマザー役まで。これぞ名女優。本当に見習いたいものです。