>

Kyohei
Abe
OFFICIAL BLOG

阿部恭平の
ブログ

Vol.028
2016 10/17 Mon.
カテゴリー:

ボブ・ディランとノーベル文学賞

先日ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したというニュースを耳にした。巷では「歌手が文学賞というのはおかしい」また「ボブ・ディランほど素晴らしい歌手ならば受賞にふさわしい」などと様々な意見が出ているらしい。私はこの点に関してどちらにせよ意見を言うにはふさわしくないと思われる。というのは個人的体験としてボブ・ディランから文学に興味を持った、と言っても過言ではないので。

高校時代にビートルズからボブ・ディランを聞くようになり、色々なCDも買ったし、当時7000円くらいする全詩集なるものも購入した。(今は絶版で2万円以上するとか。大学卒業後、事情があって手放してしまったが)考えてみれば英語の原詩を真剣に読んだのは初めてのことだったかもしれない。そのうち父や友人からディランに影響を与えた詩人や作家、ディラン・トーマス、ランボー、ビートニクの作家達の話を聞き、それに彼が真剣に聖書、とりわけ旧約聖書を作詞の材料にしているということから、聖書を読むことにもつながり、聖書の影響を受けた作家ということで(というか、後にはヨーロッパ圏の文学、文学のみならず文化は少なからず聖書の影響が隠れていることを知るのだが)、ドストエフスキーにたどり着くことになる。そのドストエフスキー作品の衝撃がなければ、私は大学でも文学部への進学を選んだかどうかわからない。

こんな人間が「彼に文学賞なんてふさわしくない」と言っても「お前の文学的体験はボブ・ディランが始まりじゃないか」と言われたら何も言い返せないし、「文学賞にふさわしい」と言っても「それは個人的な思い入れがあるからだろ?」と言われてはぐうの音もでない。ということで、私はディランが文学的であるかどうか、論じるのに適した人間ではない。

では静かに「おめでとう」と祝福するか、と言われるとそうでもない。ノーベル文学賞の価値も基準もわからないからだ。かといって「ノーベル賞作家はくだらない」とまで言われると「いやいや、フォークナーは素晴らしいよ、マルケスは面白いよ」と言い返したくなってしまう。でも好きな受賞作家達を「ノーベル賞作家」として認識はしたことがない。サルトルがノーベル賞を辞退したという話でも「サルトルらしいな」と思うだけで、サルトルの行為を称賛する気もないし、批判する気もない。あらゆる意味で「どうでもいい」賞なんだろう。

いやはや。私はディランについても、ノーベル賞についても、論じるのに適していないようで…。

この投稿をシェアする
WEBブラウザでFacebookアカウントにログイン状態にするとコメントを残せます。

阿部恭平の広告

阿部恭平のINSTAGRAM

  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram

阿部恭平のブログカテゴリー

阿部恭平のブログアーカイヴ

阿部恭平のブログ検索

一番上に戻る