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Kyohei
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阿部恭平の
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Vol.096
2019 08/06 Tue.
カテゴリー:

ナボコフのロリータ

ロリコンという言葉がある。幼女趣味のことだ。幼い男子を好むことは(たぶん)意味しない。ではロリコンの語源はというと「ロリータコンプレックス」になる。言うまでもなくナボコフの「ロリータ」という作品がモデルであろう。しかしロリコンという言葉が普及し、半ば冗談めかして使われることによって「ロリータ」の作品の価値は大きく変わってしまったように感じる。
思えば私も作品を読むまで「ロリータ」を明らかにロリコンの語源という印象を持っていた。ただの変態の小説でしょ、娘みたいに若い女を好きになるのなんて谷崎が「痴人の愛」でやったじゃないの、てな具合に。
しかし「ロリータ」と「痴人の愛」は全く異質だ。ナオミとロリータは全く別のタイプというだけでなく、小説の趣自体が違う。簡単に言うと「痴人の愛」の方はユーモラスに描かれていて、「ロリータ」はそういった要素は少なく、家族愛も感じられて悲しく切ない。
おそらく「ロリータ」がこれほど知れ渡りロリコンという言葉が有名になったのはキューブリックの映像の影響もあるのだろう。あの大胆な色使いと映像は人目をひいた。しかし実際の「ロリータ」はもっと暗いし残酷だ。
「いつか、僕が死ぬ前の最後の何日かでもいい、昔みたいに一緒に暮らしてくれないか?」というハンバート教授の懇願とロリータの返答は実に悲しい。正直言って年下の女の子を連れている男に「ロリコンだなあ」などと軽く言うのが不思議になるくらい、救いのない顛末である
思えば「カメラ・オブスクーラ」や「セバスチャン・ナイトの生涯」など彼の他の作品も残酷といえば残酷だ。ナボコフ自身の人生観らしきものがあらわれているのかもしれない。
とはいえ、ナボコフはアメリカ亡命後は面白い名物教授でもあったようだ。彼の残した文学講義では思うままに作家について語っており、彼がいかに文学を愛しているかわかる。「ロシアの真の小説家はトルストイであり、ドストエフスキーは劇じみてるだけで小説家ではない」とか、ただの批判ではなくある種の批評にもなりえるような分析は面白い。ロシアのブルジョワ出身ながら革命や戦争により財産や家族を失い、ヨーロッパ各地を経てアメリカに移り住んだこの作家にとって、文学こそが彼のアイデンティティーであったのかもしれない。

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