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Kyohei
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阿部恭平の
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Vol.132
2020 08/27 Thu.
カテゴリー:

人脈という言葉について

人脈という言葉がある。最近は自分が思う印象と違ったニュアンスで使われているような気がする。これは自分が特別なのか、時代にあわせてニュアンスが変わったのかわからない。

「人脈が広い」などという言葉が発せられるとき、それは何を意味するか。私の印象では、ただの意外性にたいする感嘆だと思っていた。AさんがどこぞのBさんと友人である、なんて時に「おや、BさんとA氏が接点あるとは(あるいは、親しいとは)思ってもなかった」というような意味合いで。褒めてもけなしてもいない、ただの意外性だ。しかし最近は「彼の人脈はすごい」などという褒め称えるような評価を時おり目にする。これは褒めているようで、実はけなしているような気もする。
例えばリンゴ・スターがレコーディングをする際にポール・マッカートニーに参加してもらうとする。これを「人脈広い」という人はいないだろう、誰もが想像しえる間柄なのだから。パット・メセニーがレコーディングに無名のベーシストを使うことに対してもそうは評さないはずだ。しかし無名のベーシストがアルバムを作るときにパット・メセニーをゲストとして呼べば、それは「人脈あるなあ」ということになるかもしれない。無名のベーシスト(ごとき)がパット・メセニーと共演することが想像し難い間柄と思われるからだ。
人脈すごい、という評価は前向きのようで実は「あいつ(ごときで)、よくもまあ誰某と親しくできるな」というような一種の蔑視めいた何かを感じる。あるいはそう言われて悦に浸るような感情は虎の威を借るなんとか、そのものでなかろうか。
以上、自分でも多少考えすぎとは思うが、そんなこともあって「人脈」という言葉自体に嫌気がさしてる。そんな脈のあるなしを語られるより「あー、そりゃリンゴとポールは付き合い長いからね」ぐらいの関係性を築いてる方が立派だろう。「あの人と親しいなんてすごい!」と誰かとの関係性を羨むように評する側も少し落ち着けば大した意味もないことに気づくだろう。所詮一人の人間、トイレにもいくし、イライラするし、間違いも犯す。貴方がありがたがる「あの人」はもしかしたら陰で信じられない悪行をしているかもしれないし、普段軽んじられている人が貴方の見えないところで「あの人」よりもずっと立派かもしれない。
親しくなりたい、と思われているのが貴方自身かもしれないし、「取るに足りない」と思われているのも貴方自身かもしれない。毀誉は他人の主張、我に預からず、というやつですな。

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