>

Kyohei
Abe
OFFICIAL BLOG

阿部恭平の
ブログ

Vol.139
2020 11/04 Wed.
カテゴリー:

戦争と一人の女、と、コロナ禍

坂口安吾を読みたくなり、珍しく本棚にある文庫本を手にとる。「続戦争と一人の女」が目につく。

安吾の小説といえば「白痴」「青鬼の褌を洗う女」、または自らが「白痴」よりずっと面白いと豪語した「外套と青空」などになるだろう。それらももちろん面白い。しかし私が最初に読みたくなったのは「続戦争と一人の女」だった。年を取るにつれて自分が何に惹かれるのか気づくことが多い。これだから面白い。

元々この作品は男性目線で書かれた「戦争と一人の女」(こちらはこちらで面白い)の続きとして女性目線で描かれたものだ。文字通り戦争の中の男女の話、女性のふてぶてしさと力強さ、悲しみが描かれる。何にしても安吾さんの女性目線は魅力的だし、一人称や語尾一つから性別を思わせる日本語という言語の奥深さを感じる。

個人的には「火垂るの墓」や「桜島」なんかよりも、この作品や「黄金伝説」や「浮雲」(もちろん二葉亭ではなく林芙美子)などの方が戦争の悲哀を感じる。つまり戦争と女性の関わる物語の方が、私には身近に感じるということかもしれない。(一応ことわるが、野坂昭如や梅崎春生、武田泰淳なんかをおとしめるつもりはない。言うまでもなく名作だらけ、「幻化」なんか今すぐ読みたいぐらい)

そういえばコロナ禍になった頃、マクロンは「これは戦争だ」と言った。その表現が正しいかわからない。が、社会はおそらく戦時中のように特別な時を迎えている。無理するように日常的にすごそうとすることも、今までの日常をすべて否定することも、いずれも異常といえば異常なのだろう。時代そのものが異常なのだから。何をしても後から見れば異常かもしれない、しかし正常であることに何の意味があるのか。

さて話は戻る。この作品、最後の女性の心情表現が特に好きだ。「野村は苦笑した。私は彼と密着して焼野の草の熱気の中に立つてゐることを歴史の中の出来事のやうに感じてゐた。これも思ひ出になるだらう。全ては過ぎる。夢のやうに。何物をも捉へることはできないのだ。私自身も思へばたゞ私の影にすぎないのだと思つた。私達は早晩別れるであらう。私はそれを悲しいことゝも思はなかつた。私達が動くと、私達の影が動く。どうして、みんな陳腐なのだらう、この影のやうに! 私はなぜだかひどく影が憎くなつて、胸がはりさけるやうだつた。」(青空文庫より)

コロナ禍が明けたら戦後の小説のような、新たな形のエネルギーを発する何かが生まれるかもしれないし、それを期待している。

この投稿をシェアする
WEBブラウザでFacebookアカウントにログイン状態にするとコメントを残せます。

阿部恭平の広告

阿部恭平のINSTAGRAM

  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram

阿部恭平のブログカテゴリー

阿部恭平のブログアーカイヴ

阿部恭平のブログ検索

一番上に戻る