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Kyohei
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阿部恭平の
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Vol.150
2021 02/12 Fri.
カテゴリー:

裏窓と記憶喪失がテーマの映画から思い出したこと

先日「裏窓」を見た。グレイス・ケリーは美しい、の一言で終わることもできるけれど、ずいぶん久しぶりだったからか面白かった。カメラの動きは主人公の視線そのものでもあり、その中で事件は起こる。音も説明もなく、ただカメラの動きだけで物語が展開していく様子はまさしく映画的。よくヒッチコックの代表作として本作があがるけれど、グレイス・ケリーの美貌の影響と思いきや、それだけではないな、と改めて。
その次の日に「心の旅路」という作品もやっていたので録画した。幼い頃母親と二人と見たから、とそれだけの理由で。特筆すべき内容でもないのだが、30年以上の時間が空いているのにところどころ覚えていることに驚いた。父に確認したら母親はこの作品が好きだったらしい。
以前たしか淀川長治がこの作品と「かくも長き不在」を比較していた。戦争による記憶喪失、男性は忘れてしまっていて女性がなんとか過去を思い出してもらおうとする。そういった共通項はあるのだが、氏が言うにはアメリカとフランスの違いが顕著に現れている、と。「かくも長き」の方は懐かしい音楽を流して昔のようにダンスを踊る。そのときに女性(アリダ・ヴァリ)は自分の肩におかれた彼の手をじっと見つめる。実に印象的なシーンだ。双方の物語の結末は言うまでもなく違うのだが、最後のアリダ・ヴァリの微笑と台詞は忘れられない。脚本のデュラスの真骨頂。
思えば母は時おり私と一緒に家でビデオを見ないか、と誘ってきたものだった。ある夏の日、彼女が自宅で療養中だったこともあり「夏休みの間、一日一本、一緒に映画見ようよ」と提案してきた。題名や内容はほぼ忘れてしまったが、猿を飼育する女性の話を見た。一匹の猿が別の猿を可愛がったことに対して嫉妬してイライラする場面があって、なんだか寂しい結末だったことは覚えている。なんにせよ、やはり映画や音楽、演劇などは同じものを同じ時間、空間で共有するというコミュニケーションも魅力の一つなのだろう。読書などだと同じものを読んだとしても、空間や時間は別個のものだ。

なお私は母と映画を見ることよりも友人と遊ぶことを優先し、一緒に見たのは数日間のみだった。夏休みの終わる頃に彼女はまた入院し、そのまま家に戻ることはなく冬の始めに他界した。

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