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阿部恭平の
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Vol.187
2022 03/05 Sat.
カテゴリー:

ロシアと私

ロシアの愚かさを嘆く。というのは私にとってロシアはある種の憧れの対象であったから。
そもそも高校時代にドストエフスキーに出会ってなければ、どのような人生を歩んでいたのだろう。「地下室の手記」を自分の物語のように読み、「カラマーゾフの兄弟」を通して神とその意味を考え、「悪霊」で個と他者(社会)について考えさせられた。所詮十代の幼稚なガキの考えではあるけれど。
アメリカのアフガン空爆、イラク戦争に対してはっきりとノーを言ったのはフランスとロシアだった。その後フランスに住んだが、(一概には言えないけれど)私が想像したよりAmericanizedされた様子に少し失望したこともあった。アメリカ建国の頃からカフェ文化があったろうに、スターバックスができたら日本と同じように(下手すりゃそれ以上に)行列ができる。アメリカの面白くもなさそうな映画や小説が人気になると「いやいや、おたくの国は他のどんな国にも負けない歴史があるだろうが」などと思ってた。ジャズでも普段は古さをやたら否定して新しいことをやりたがるくせに、アメリカの伝統的なスタイルのミュージシャンが来ると一瞬で満席になり、拍手喝采。「なんだよ、この二枚舌の権威主義は」と呆れることもあった。(これに関しては今思えば私が間違えていた気もする。新しいものを好むことと伝統を好むことは両立する)
ちょうどその頃、私はクラシック音楽をよく聞くようになった。教会やホール、野外などで格安で聞けるコンサートを探しては足を運んだ。色々な音楽家や演奏家を知るにつれ、多くのロシア人がアイドルになり、ショスタコーヴィチやラフマニノフの曲に魅了された。ロシアの音楽家が特集されている音楽雑誌を手にしては、辞書をひきながら読んだ。今でもフランスの作曲家や奏者よりもロシアの方が贔屓にしている人の数は多い。
そんなこともあり海外旅行にはあまり興味ないけれど、ロシアにはいつか行きたいと思っていた。ハイフェッツ、ミルステイン、オイストラフ、リヒテル、ホロヴィッツ、ピアティゴルスキー、ラフマニノフ、亡命した演奏家の数も枚挙に暇がないが、いずれの人からも民族性を思わせる風格を感じさせ、ジャンルや楽器は違えど自分もそのようになりたいと思えた。どこに住もうと活動しようと個性があふれているところも憧れだし、それは音楽のみならず他の分野でもそうだった。(そういえばタルコフスキーの「サクリファイス」は何度見たことか。あの映画によりマタイ受難曲を知った)
もちろん歴史的に考えると日本にやったこともひどいし、スターリンやベリヤのような人間を思い浮かべると、国の体系や政治を支持したいとは微塵も思えなかったが、そのような社会の中で個人が多くのものを産み出したエネルギーにはすごく関心があったし、敬意を払っていた。
そのロシアが一部の権力者により、このようなことになってしまっていることにショックを受けている。もちろん被害を受けているウクライナの人々を重んじるのが第一だし、彼らが救われるのが最優先であることは言うまでもない。戦争犯罪者達は必ずや厳しく罰されるべきだと思う。が、自分にとってのロシアが違う国に変貌していくことが妙に悲しい。毎朝起きるたびに、戦争の終わる兆しがないかチェックしてしまう。早くこんな日々も終わることを切に願う。

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