夏は夜、蛍も多く、飛び違い
八月も終盤。今年の夏も暑かったとは思うけれど、短かった気がする。自分は夏バテも熱中症の経験もないので、暑さに強いようだと最近になって気づいた。とはいえ、こういう油断をしていると痛い目にあうんだろうが。
暑いのもあるけれど、天気もおかしい。熱中症も昔はなかったんだろうけど、台風でもないのに電車が止まったり車が動かなくなるほどの雨もかつてはなかったはずだ。人が亡くなるほどの雨が日常的に、しかも予測できぬまま降るなんて。
日中の長時間の野外活動も危険だし、急な雨もいつくるかわからない。こうなると人はおいそれと外には出づらくなる。もしかしたら将来のミュージシャンは真夏に製作などに励むか、あるいは何か別の仕事に打ち込むかもしれない。定期的な演奏はともかく、大きなイベントはやりづらい。
自分に関して言うと、のんびりしてるのも、それはそれで充実することもあるのでちっとも嫌いではない。思えばコロナ禍もそうだった。一応「早く収束してほしい」と思っていたし、口でもそう言っていたけど、内心「(経済的問題がないならば)これはこれでいいな」とも少し思っていた。人前で演奏していかないとモチベーションの維持が難しいような人は精神的に苦しかったかもしれないけど、差し迫った予定もないからこその予期せぬ発見もなかなかよかった。あの頃に戻りたいとは思わないけど。
でもこんなことを言えるのも、現在ある程度恵まれているからなんだろうとも思う。精神的に辛いことを強いられる時などは意外と忙しい方が救われる、というのは自分もよくわかる。かつて経験した、あるいは将来いつかは身近になるであろう「辛い時」から思えば今は呑気そのものなんだろう。
先日、まさに呑気に散歩をしたときのこと。腕時計の電池を換えようと時計屋に預けて、本屋とアパレルショップを眺めて過ごした。時計を引き取った帰り道。ちょうど聞いていた音楽が風景にも空気にも見事にあっていたもので遠回りして公園に寄った。かろうじて日が残っているぐらいの時間で犬を連れる人々や、まだ遊ぼうとする子供達も目に入る。思えば子供の頃は日が沈んで真っ暗になるギリギリまで「まだ明るいから遊べる」などと考えていたものだった。そのまましばらく公園内をぐるりと歩き、動くようになった腕時計を見ると七時前になっていた。夏の日が沈む頃から夜は実に過ごしやすい。夏は夜、というどこかの明快すぎる文のとおり。








