手の形、手の記憶
「自分の手ってわかるよな」と、ある日、友人が言った。どういうことか聞くと彼は続けた。「たとえば身体の一部、目でも鼻でも口でもいいけどさ、一部だけを拡大して写真に撮ったとするだろ。それを他人のものと一緒にずらーっと並べられたとして、手だったら判別できると思わない?」なるほど。たしかに顔全体ならともかく、部位だけになると目も鼻も自信はない。ただ手ならば毎日のように目にしているからわかりそうだ。
自分の手は母親譲りだと親戚からよく言われてきた。特に大きいわけでもないけれど指は細長く見える。母の手のひらや手の甲のあたりをはっきり覚えていないけれど、かなりほっそりしていた印象がある。家族で旅行をした時、なんらかの形で母親とじゃれた時(「僕も力あるぞー」とか?)、彼女の手をギュッと握ったことがあった。一夜明けて帰りの車の中で「昨日強く握られて、まだ手が痛いわよ」と呆れたように、子の成長を少しだけ喜ぶように言われたことを覚えている。10歳に満たないぐらいの子供に握られてそうなるのだから、やはり非力ではあったんだろう。
その後も身体は成長しても手は分厚くならず、指は細長いままだった。学生の頃は同級生に冗談で「手だけ美形なんだ。手のモデルの仕事ないかなあ」なんて言っていた。
真剣に楽器をやるようにつれ、細長い指がコンプレックスにもなった。Bireli Lagreneの二枚組アルバムの片方、ソロギターの方のジャケットを見ると彼の手がそのまま写真になっているんだけど、そのゴツゴツして苦労してきた感じのかっこいいこと。また憧れのベーシストの手を見るとやっぱり逞しいし、特に外国人と手の大きさを比べるびっくりする。実際に会って手のひらをあわせてみても、分厚くて太いし、指も一回り自分よりも大きい。それに比べて自分のは小さいわけでもないのに、貧相で弱々しく見える。逆に手の小さい人はそれはそれでフォームがとても綺麗だったりする。(簡単に言うと指が余らないから、合理的に使える)自分は指が中途半端に長いもんで、たまに遊びができてしまう。これまた理想を追求したらキリがないんだけども。
一応指を鍛えるトレーニングなども色々やってみたけどもダメだった。憧れのベーシストみたいな音を出したくて、フォームを真似してみたこともあったけど、やっぱり音は同じものにはならない。身体の問題なのか、別の要素があるのかわからない。いずれにせよ、結局は自分の手なりにやっていくしかないなあ、と思う。手を取り替えるわけにはいかないし、ないものねだりをし続けても仕方ない。
今は年を重ねて、手の甲やら節やらカサカサとしてきたし、もう美しい手という感じでもない。無理して弾くと指も疲れるし、時には痛くもなる。仕方ない、それを含めて受け入れるしかない。年々思うけれど、許容って大事ですね。自分は「誰か」になれないし、「誰か」も自分ではない。そんなもんである。









