少し愛して、ながーく愛して
いつかに知った「少し愛して、ながーく愛して」という台詞。ウイスキーのCMのキャッチコピーのようで。自分が生まれるより前の頃なのでCMはもちろん、当たり役だった大原麗子もほとんど知らないけれど、そのフレーズは記憶に残った。ポップなものって何事もそんなものなのかもしれない。
たまたま先日その文句を思い出してみて調べてみた。作ったのは糸井重里。love me a little, love me long、というイギリスの詩が元ネタだったという。なるほど。こういうことを知ると、CMの文句にもちょっと気品を感じるから不思議だ。
人は何かと先入観に影響を受ける。適当な俳句を芭蕉の句といえば趣きを感じてもらえるかもしれないし、適当な絵をピカソの弟子の作品といえばそれなりに関心を持たれるだろう。毎月のように呑気そうな猫の絵を描いている人が知り合いにいるのだけど「彼はフランスに滞在している間、時おり美術館に通って過ごした」と紹介を加えてみたら、意外と芸術性の高い絵に見てもらえるかもしれない。
かつて女優の蒼井優が小津映画の『秋刀魚の味』での岡田茉莉子がブドウを食べる演技を研究した、なんて記事を目にしたことがあった。蒼井優の演技を見たことなかったのにも関わらず、自分はなんとなく「きっと良い役者さんなんだろうな」と思ったのを記憶している。どんな役者だってきっと色々と勉強しているだろうに、印象なんて意外とこんなもんなんだろう。
多くの評価も印象から始まる。まずは印象を重んじて自ら評価を構築していくのも、最近で言うとブランディングということにもなるのかな。ただ例えば蒼井優本人が「こんな苦労したんです、昔の日本映画をこんなたくさん研究しました」などと長々と主張していたら、「うるせーな」と思うだろうな。演技で人の心を動かすのは芸であっても、それに伴う苦労や努力で意識を惹こうとするのは芸ではない。大袈裟だけど精神的な貧相さを感じそうだ。時に人が経済的に貧しくなるのは仕方ないとしても、精神が貧しいのは好ましくない。そうなると口論の末の表現でニュアンスは逆であっても、勝海舟の「評価とは人がやるものだから、自分は預かりません」の方がさっぱりしていてよろしい。ブランディングというものとは相反するけども。
さて「少し愛して、長く愛して」の詩は深すぎる愛は時に破綻しやすい、という意味も含まれているという。たしかに完璧な人もいないので、短い時間であまりに密接な関係をもつとお互い欠点も目につくだろう。先ほどの評価に関わるような話にしても、関係性を抜きに長々語られるとそれこそ「うるせーな」となる。多くのことは「少し、長く」あるいは「深く、短く」ぐらいの方がうまく回るのかもしれない。








