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阿部恭平の
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Vol.120
2020 05/12 Tue.
カテゴリー:

「野良犬」を観て

先日、映画「野良犬」を観る。恐らく三回目、それほど黒澤映画を観ていないが私にしては見てる方だし好きな作品だ。戦争帰りの似た者のような二人が争う中、平和な風景としてソナチネや「蝶々ー蝶々ー♪」の童謡の対比の場面が秀逸と思っていたが(もちろん他の音楽も素晴らしい)、改めて三船敏郎の存在感を思い知った。別に熱烈なファンでなくとも、どこがいい、あそこが上手いとか思うことはなくとも、彼の表情や台詞、振る舞いは記憶に残る。スター性というものなんだろうか。思えば一度しか見てない「七人の侍」もなぜか一番思い出すのは戦火で赤ちゃんを抱き締めて「おれと同じなんだ」と言う農民出身の侍の姿だ。(山賊を倒して雨に打たれるシーンや「勝ったのは我々ではない」などではなく!)

戦後に故郷に帰還する途中で荷物を盗まれ「こんなんなら悪いことした者の勝ちじゃないか」と思ってしまう若者、自分の銃が盗まれたことに責任を感じる刑事、自分にはよくしてくれた彼を守ろうとする踊り子(しかし盗んだ金かもしれないという懸念から彼が買ってくれたワンピースには袖を通せない)、様々な面で人間的な感情のあふれるドラマだな、と感じる。そういえば当時ヒューマニズムという言葉も流行っていたんだっけな。
先輩刑事である志村喬から発せられる言葉がいかにも現実的だ。発砲事件がおきた、と知り「(盗まれた)僕の銃では…」と心配する三船に「君の銃だったらなんだって言うのかね」と切り捨てる。また最後も「なあに、すぐ忘れるさ」と励ますように言うが、それはある種の残酷さを伴う忘却かもしれない。

いずれにせよ今後もまたこのような時代が近づくのかもしれない、と思うと色々と考えさせられた。三船敏郎が熱弁する「自分だって盗まれた、でも刑事になった。辛い思いしたから、社会が悪いから、ってのは理由にならない」という理屈は実に清々しい。「自己責任」という言葉を他者や弱者につきつけるのは無粋だが(というか責任を取りたくない人こそ、この言葉を使うものだ)、自らの倫理を律するための責任感には好感を持つ。あるいは「自己責任」なんて言葉は文字通り、自己の中で完結すべき言葉かもしれない。

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