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阿部恭平の
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Vol.123
2020 05/21 Thu.
カテゴリー:

アンゲロプロス三部作

指が相変わらず不調なもので立て続けにテオ・アンゲロプロスの作品を見た。「1936年の日々」「旅芸人の記録」「狩人」と、三部作と呼ばれる、いずれも第2次世界大戦前後から戦後のギリシャ社会を描いたものだ。作品の細かな歴史的背景、それに技術などは評論家先生や論ずることが出来る人にお任せするとして、自分は単に思ったことを。

とりあえず「旅芸人の記録」から。戦前から戦後までの親戚で成り立つ旅芸人一座の物語だ。芸人達は同じ出し物を稽古し、ナチス占領下になろうと、イギリス指導下になろうと、同じように街中を歩き宣伝する。主役を演じていた家族を亡くした後、その役を成長した親戚の子が演じる時には、なんというか長くその一座に関わったような気分になり感動的だった。(実際長い映画だ、なんと四時間ほど)反復と差異、というのを地でいっている傑作だと思った。
「1936」は戦前、「狩人」は戦後の作品だ。どちらもパルチザンと呼ばれる過激派組織が関わる。「1936」は実際にあった政治家を人質にした事件をモデルにしたもの、「狩人」に関してはもう70年代なのだが、やはりその時代を過ごした人々の記憶と幻覚のような描写が多い。ブニュエルの「ブルジョワジーの密かな愉しみ」を思い出した。

自分はこの三作より後に作られた「霧の中の風景」や「永遠と一日」といった他の作品の方が好きかな、というのが正直なところ。しかしフェルメールの「小路」みたいな構図を頻繁に使っていて「この人の映画に興味持ったのはこういうところかなあ」などと発見もあった。(余談だがフェルメールの人物画より風景画の方が好きだ)
「1936」みたいな話は描きようによってはもっとサスペンス調にもできることはできただろうが、しかし彼の「1シーン1カット」で淡々と進むばかり。あの映像でサスペンス調にすれば破綻するし、逆にサスペンス映画として作ればあんな映像を挟む間がないだろう。各々、己の美学やスタイルに従って動くのが一番なんだろうな、と改めて思った。いくらご機嫌だったとしても、キース・ジャレットがニコニコと客席に手拍子をあおるのなんて見たら戸惑うでしょ。(ちょっと違うか)

 

にしても、楽器さわる時間限られて、これだけ時間あるようなときでもないと、「旅芸人の記録」を見ることはなかったろう。それに時間なかったらこんな頻繁にブログ更新してないはず。何事のきっかけも時間と環境から。不思議なもんだ。

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