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Kyohei
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阿部恭平の
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Vol.125
2020 05/25 Mon.
カテゴリー:

ユリシーズ考 2

「ユリシーズ」について再び。主人公であるレオポルド・ブルームは38歳、かつてはその年齢の男の思考を想像していたものだが、とうとう今年追い付いてしまった。いやはや。

さて(つい先に書いたばかりの話題だが)人は代わりを求める。完璧な代わりになり得ないにせよ、本人が意識していないにせよ、何らかの形で失われたものを求める。レオポルドはスティーヴンに失った息子を見いだし、スティーヴンは亡くなった母親、不仲になった父親を求めさまよう。モリー・ブルームはおそらく失った息子とかつての恋人を愛人であるボイランに求めている。この物語に限らないだろうが、プルーストではないけど各々「失われた時をもとめて」いる、とも言える。
また注目すべきは英雄オデュッセウスのパスティーシュとして描いているにも関わらず、ヒーローらしくないレオポルドの姿だ。文通相手に卑猥なことを書き、酒場で絡まれたら逃げ、砂浜で若い女性に欲情し、イギリス兵の喧嘩の仲裁に入りアタフタする。その息子の役割であるスティーヴンにしても授業後に質問に来た子供に補習するも子供が理解できないと「この無能のデブガキ、死んでしまえ!」と心の中で思ったりする。ただその後に「でもこの子にも、この子を愛する母親がいる」と思いだし、結局その子が理解するまで補習を続け、その子が理解したら「さ、遊んでおいで」と校庭へ走らせる。モリーは不貞の妻であり、愛情深いところも見せる。砂浜の足の不自由な若い女性は天使と娼婦の役割を同時に担う。
彼らだけでなく、あらゆる人物の中に善と悪(と分けるとすれば)、2つの概念が共存している。私が「ユリシーズ」に惹かれた理由もこういったところにもあるような気もする。優しさは冷淡なこともあるし、普段気弱な人が突然気丈になったり、身勝手な人が献身的に何かをすることもある。モリーと不倫するボイランもどこかで何かを救っているかもしれないし、レオポルドはそれを知っているかのように妻が愛人と会うことを知りながら外で時間をつぶす。偉そうなことばかり言っておきながら土壇場で逃げ出すマリガンも暴れるイギリス兵もどこかで人間味にあふれている。完璧な人間はおらず、不完全だからこそ失われた「代わり」をもとめ、それを許容する。禅や老荘思想のような、ちょっと東洋思想にも重なるような世界観はどこから来ているのか。次回はそのへんのことを。

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