クリスチャンとダブリンの思い出
昔フランスの音楽院に通いだした頃。クリスチャン・ジャンテというベース奏者からレッスンを受けられることになり、最初にピチカートでジャズスタンダードのベースラインを弾くよう言われる。その後弓でなにか弾け、と。その後言われたことは「ピチカートはまだいいけど、弓はCatastropheだ」と一言。カタストロフ=破滅的!
ということで左手はさておき解放弦で右手で弓を押し引きする練習をすることになる。(そういえば日本語だと「上げ弓」「下げ弓」という表現を目にすることがあるが、フランス語ではpousserとtirer、押し引きで表現する。不思議だ)引きのときにはここまでは腕で、ここより先は肘を使え、などと弓の棹のところにシールを貼って、まるで子供のように押し弓、引き弓。野球の素振りみたいに毎日やって2ヶ月ほど経っても「まだ固い」と言われるばかり。
あるときに友人と週末にアイルランドのダブリンに行った。ジョイスの記念館やトリニティ大学、あとバベルの図書館と呼ばれる空間には人間の叡知と歴史の積み重ねを感じ大いに感動した。当時ヨーロッパチャンピオンであったアイルランド代表のラグビーシャツも買った。(今も春や秋には愛用している)しかし週明けにはレッスンがあり、それを休みたくないので私は日曜日中にパリに戻った。(友人達は北アイルランドも旅行しジャイアンツコーズウェイなどを見てきたようだ。それもまたよし)
アイルランドいる間、弓触れなかったしなあ、などと思いながらレッスンへ。「今日もダメと言われるんだろうな」と思ってると「いいじゃないか、それでいいんだよ!」と言われる。「なんか気がついたことあった?この一週間でいきなり上手くなったなあ」などと先生はご機嫌。アイルランド旅行してあまり弾けなかった、と言うと「毎週アイルランド行ってきたらどうだ?」とケラケラ笑う。不思議なものである。
ともあれこうして弓の棹に貼られたシールは剥がされたのであった。まあ当たり前のことながら、その後の方が苦労したことは多いのだが、それはまた別の話。