>

Kyohei
Abe
OFFICIAL BLOG

阿部恭平の
ブログ

Vol.143
2020 12/16 Wed.
カテゴリー:

好きなものより嫌いなものについて話す方が盛り上がる。そういうものである

先日ピエール・ブルデューを紹介する番組を見た。ブルデューの話は自分が学生の頃、二十年近く前から聞いたことはあった。例の「文化資本」の話を聞いたときも「ふーん、なるほど」とか「文化にこだわるフランスらしい話だね、でも他の国に通じるのかね」とか思ったりした。まあその程度で、書物は未だ読んだことはない。そもそも社会学というものにあまり興味を持たなかった。

さて彼の「趣味とは闘争である」という表現は一種の比喩としても、「趣味を人に押し付けるものじゃない」というのがどこか綺麗事に聞こえる気もする。人は様々な形で共感を求めるし、承認欲求があるものだ。「あいつの趣味は悪い」とか悪口まで生まれたりする。
また「闘争」とまで言わなくとも趣味嗜好には他者が存在している。日本語でいう「世間」みたいなものだろうか。例えば好きなロックについて語るときにビートルズと答えるとする。そのときに「やっぱり」とか「ちょっと恥ずかしいけど」などとエクスキューズがつくことが多い。ビートルズの世間における評価を認識しているからだ。逆にみんなが知らないものを得意気に語る快感というものもある。「好きな日本人映画監督は?」の問いに対して(理由はともかく)「黒澤明」と答えるよりも「山中貞雄」と答える方が通っぽく聞こえるだろう。(人によっては山中ですら俗っぽい、などと言われるかもしれない)

まさにこの「俗っぽさ」というものとも、人は無意識に戦っているように思える。自分は低俗ではない、ということを趣味や嗜好から証明したい、つまりは「自分≠低俗」ということを証明するための趣味や嗜好と言い換えることもできる。そうなるとブルデューさんの言う通り趣味や嗜好は個人的なもののようでいて、これほど社会的なものはないということになるのかな。実に構造主義的な話でなかろうか。(といったところで、自分は不勉強なもので構造主義を把握しているとは言いがたいけれど)

まあそんなわけで初めてブルデューについて関心を抱いた。サイードの「オリエンタリズム」の話を知ったときのような感覚に近い。無意識ながらの社会からの影響という意味において、意外と通じる話なのかもしれない。

この投稿をシェアする
WEBブラウザでFacebookアカウントにログイン状態にするとコメントを残せます。

阿部恭平の広告

阿部恭平のINSTAGRAM

  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram
  •  Instagram

阿部恭平のブログカテゴリー

阿部恭平のブログアーカイヴ

阿部恭平のブログ検索

一番上に戻る