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阿部恭平の
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Vol.144
2020 12/24 Thu.
カテゴリー:

クリスマスだから(?)プルーストについて書いてみた

先日あるロック歌手が読書が趣味とのことで、プルーストの「失われた時をもとめて」を読みながら並行して「水滸伝」を読んでいるというような記事を読んだ。そんなバカな。ちょうどそのときに自分がクロード・モーリヤックによるプルーストの評伝を読んでいたからかもしれないが、そのような感想がふとこぼれ出た。

別に私はその歌手を嘘つきだの知ったかぶりだの、と言いたいわけではない。おそらく長い話をつらつらと目で追うのが好きなのだろう。しかしプルーストは何かと並行して読むような代物ではないし、普通読めない。言うまでもなく、文は長く難解で登場人物も多く歴史背景なども決して簡単ではない。何を読んでいるかわからなくなる。小説ではあるのだが、ある種プルースト本人の哲学、美学の書でもあるからだ。ジイドは「読書を通じてプルーストの目を与えられる」というようなことも言っている。

大学時代それこそプルーストだけを何か月も読み続けて(もちろん翻訳で)一応全部目を通したが、やはりよくわからないままだった(とくにゲルマントの方へ、ソドムとゴモラ)。自分は「スワン家の方へ」や「囚われの女」から「見出された時」にかけては面白く読んだけれど、それでも理解しているかどうかは怪しい。(そういえば多くの人はマドレーヌを期待してその場面がくるまでに飽きてしまう、と聞いたことがある)そもそもフランス人でもプルーストを全て読んだという人には会ったことがない。

そういえばフランス人とはなぜかプルーストの話になることが多かった。私の顔がプルーストに似ているということもあるんだろうけど、何かと「お前プルースト好きなんだよな!」というように振られることも多かった。言語学校に通っている時に「早い時間に寝る」という表現を学ぶときに先生に「キョウヘイ、君はプルースト好きなんだろ、わかるんじゃないか?」とかあてられたことがあった。「スワン家の方へ」はLongtemps, je me suis couché de bonne heure.「昔から、私は早く床についていた」という、母親のキスがなくては安眠することができない、喘息持ちの病弱な少年時代の記憶から始まるからだ。人に譲ってもらったチケットでプルーストのオペラを見たこともあったし、スウェーデン人の女の子(何年か前まではたまに連絡とってたけど今どうしてるかなあ)とプルーストの現代劇を観に行ったこともあった。考えてみたらプルーストに関わることの多い時期だったのだろうか。

とにかくそのモーリヤックの評伝を読んだばかりのせいか、またプルーストを読みたくなっている。スワンの嫉妬やアルベルチーヌの意地悪な振舞いや喪失なども面白いけれど、今は(こんな時代だからか)プルーストの芸術観や美学のつまった「見出されたとき」を読みたい。全てを失ったような主人公が図書館に足を運び啓示を受けたように精神が揺さぶられる場面、そして自らの死期を感じながらも創作と芸術に砕身していこうと決意する場面は実に感動的である。

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