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阿部恭平の
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Vol.145
2021 01/01 Fri.
カテゴリー:

2021年初日

結局プルーストの「見出されたとき」のちくま文庫は見当たらずに年を越してしまった。代わりに見つけたのはその原書にあたるLe temps retrouvéとなぜか永井荷風の岩波文庫。どちらを読むか、と言われて迷わずLe temps retrouvéに手が向くようなタイプであれば、私は仏文学者にでもなっていたかもしれないけれど、そんなタイプでもないもので永井荷風を読んでいる。あれほど素晴らしいのだからいつかは原書で読みたい、と思ってフランスにいた頃に購入をしたものの、未だ手を出せぬまま15年ほど経とうとしている。実に情けない。

それはともかく永井荷風、久々に読む。特に好きであった「葛飾土産」から。東京の思い出を書き連ねるのはいつものことだが、途中ふと思いついて川を海に向かって歩き続ける。海までの距離を子供に尋ねるも、あまりの長さに諦める。いかにも簡潔に踵を返して話は終わるのだが、その文の中に「若いころならば歩けたけれど」というような老いに対する悲しみが見える。石川淳は永井荷風の戦後唯一の傑作と述べている。若いころは大いに共感していた荷風の過去へのこだわりや悲しみを含んだ想い出よりも、彼の語る東京についての文の方が今となっては興味深い。懐古もわからなくもないが、正直言って「また言ってるわ」と思ってしまった。これは自分が年をとったのか、あるいは過去の自分の方が賢かったのか。もちろん彼の都市論と過去への思いを切り離すことはできないし、小説でも随筆でもあるという稀有な形式でもってそれら全てを表しているとも言えるのだけれど。

年末は久々に「ニューシネマパラダイス」を見た。やはり物語はもちろん、構図、音楽と言い、映画に対する愛にあふれているなあ、と実感する。「アメリカの夜」も映画を通した不良少年の成長物語の一つであり、トリュフォーの映画に対する愛情や憧れがあふれているが(というか、トリュフォーは映画がなければただのチンピラだっただろう)、この作品もある意味「アメリカの夜」の系譜の一つと考えていいのだろうか。映画への愛情と憧れがそのまま映画になる、という作品だ。なぜ小説を書いたのか、の問いに「小説を読んだから」という答えがあり、その文脈はあらゆる芸術に通じると思うが、その気持ちが実に素直に出た、映画でしか味わえない心地よい作品だった。そうそう、モリコーネのこの映画の曲はたまに演奏することもあるが、久々に原曲を耳にすることになった。改めて名曲と感じる。

 

さて取ってつけたような挨拶だけれど、今年もよろしくお願いします。このブログの流れのように興味がふらふらとしている自分ではありますが、良い音楽家になれるよう歩んでいきたいものです。どうか皆様も元気に充実した日々を過ごせますよう。

2021年 元旦

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