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Kyohei
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阿部恭平の
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Vol.153
2021 03/19 Fri.
カテゴリー:

自由に振る舞うということ

Doisneauの写真展へ行く。考えてみると写真展に足を運ぶのも久しぶりだった。数多くのパリの写真、とりわけミュージシャンの写真も興味深く見られた。ジャンゴはもちろんジャンゴの唯一の弟子とも言えるアンリ・クローラの写真も珍しいし、おそらく昔共演したフェレ兄弟の父親の写真もあった。あとジュリエット・グレコが歌手になる前モデルだったとは知らなかった。
演奏中の写真では観客の表情もよく見える。嬉しそうに眺める客、つまらなさそうに眺める人、様々である。その名も知らぬ人々のそれぞれの表情が写真を作り上げる。現在だと個人情報の保護という理由でぼやけさせられるかもしれないし、逆に了承を得たとしても皆が「撮られている」と意識をした表情の写真になるかもしれない。いずれにせよ現代では難しい構図なのかもしれない。多くの人が写真を撮り、公の場に発信できる社会であるために、何かが失われているのだろうか。
またつまらなさそうに聞いている客の表情もなかなか愛らしく見えるから不思議だ。やる側の意見としては、そりゃ全ての観客に何かしら精神的な豊かさを得てほしいものだが、例えば「ちゃんと聞け、ちゃんと見ろ」とか観客に対して求めるのはまた筋が違う話になる。もちろん他の人に迷惑かける程の私語などは言語道断だが。
お客さん全員が心から感動して過ごす舞台芸術もないこともないかもしれないが(少しそれも気持ち悪い気もする)、「心そこにあらず」で過ごす自由もあることはある。なんらかの心配事や悩み事を抱えながらコンサートに来ることもあるだろうし、初めてのデートで相手が気になって映画に集中できないこともあるかもしれない。それを「作品に集中してくれ」と咎める演奏者も映画制作者もちょっと無粋に見える。逆に悩み事を忘れるほど音に引き込まれることもあるし、恋人の存在を忘れるほど映画に熱中することもある。受け手だけの問題でもないし、そうならなかったからといって作品の質が低いというわけでもない。「感動してもらった、楽しんでもらえた」という承認欲求も「せっかく来たのに楽しめなかった」と思うのもどちらも個人による自由な感情なのだから。
話をDoisneauに戻す。「フランスらしさ、パリらしさ」みたいなイメージはDoisneauやBrassaiの写真によくあらわれているのだと思う。そう考えると観光大国のフランス、とりわけパリ市から何かしらの賞でも与えられても良いかもしれない。余談だが、水の上にチェロを浮かせて波の広がる写真の題名D'eau(水) majeur(Do majeur=Cメジャーと発音酷似)を「水の波長調(ハ長調=Cメジャー)」と訳したのは素晴らしいと思った。

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