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Kyohei
Abe
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阿部恭平の
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Vol.161
2021 06/17 Thu.
カテゴリー:

以前に起きたことと過ぎ去らない何か

「終わったことは仕方ない」。電車を一本逃した際には逃した電車をとめられるわけでもなし、コンサートがやむ得ぬ事情でキャンセルになったときにその無念さをつらつら語っても何もおきない。次のことに向かう際、精神衛生上ではこういった気持ちを持った方が良い。電車を逃したならば相手に迷惑がかかるようならすぐに伝えたり、途中の時間を調整したり、やりようがある。コンサートがキャンセルになったならば次の機会に備えて何かしらの準備をする方が健全だろう。しばしば自分に言い聞かせることはあるようにも思える。
しかしこれを一歩すすめて「過去は(もう)かえられないけど未来は(きっと)かえられる」というのもよく聞く。それはその通りなのだけど、どこか綺麗事のように聞こえもする。これは私がひねくれ者だからかもしれないが、どこか過去を切り離すような、軽んじてるように聞こえるからだろうか。
ベルグソンは「人間=その人の過去」と言い切り、フォークナーは「過去は死なないし、過ぎ去ってさえいない」と、アレントは「世界はいかなる瞬間においても<過去>であり、良きも悪きも記念と遺物によって作られている」と述べている。まあこんなふうに立派な文句を借りなくとも、過去の経験によって個人や世界が形成されていることは子供にだってわかる。堤防はなぜここにできたか?以前に水害があったから、てな具合に。
「過去はなかったことにして、今日から」というのは現実的には不可能ということになる。過去は現在、未来の線上にあるのではなく「過去をなかったことにする」というのは存在を否定することなのだから。それまでやってきたことはなんだったのか。「過去を振り返っても仕方ない」とか「未来だけを見据えて」みたいな言葉がどこかクリシェというか薄っぺらく聞こえることもあるが、やはり時には過去はじっくりと見つめる必要がある。将来のためにはなるかどうかはやからないけど。
そういう意味では、物質的、経済的な面はさておき、昨今の異質な日常もそういう時間のためには悪くなかった気もする。この時間もまた現代人の過去として蓄積されるのだろうな。せんぐりせんぐり、と。

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