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阿部恭平の
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Vol.173
2021 10/11 Mon.
カテゴリー:

白鵬引退について

白鵬の引退。思えば私が真剣に相撲を見始めたのは白鵬からだった。
大学生活の後半からのべにして三年弱、祖母と二人で生活していた。家事を終えた祖母は夕飯の支度までの間、なんとなく相撲を見る。彼女は当時優等生の白鵬贔屓であるのに対し、私は当時から問題児扱いされていた朝青龍贔屓。千秋楽の直接対決になると「ほら、始まるよ」などとどちらともなく声をかけ、一緒に見るのが習慣になった。今でも彼女は白鵬をそれなりには贔屓している(はず)。普段共通の話題をそれほど持つわけではなかったが(とはいえ夕食時には色々喋っていた。何を喋っていたのだろう)、夕方の相撲は数少ないコミュニケーションの一つだった。

白鵬は日本に来たとき体重が軽すぎて部屋に入れず「お願いだから入門させてくれ」と泣きついてなんとか部屋に入れてもらった。あと数日、日本にくるのが遅かったら間違いなく力士にはなれていない。そんな痩せ細った少年がとんでもない記録を作る横綱になったというだけでも奇跡的だ。私は朝青龍、日馬富士と白鵬と対立する力士を贔屓することが多かったので白鵬に負けて悔しい思いをするばかりであった。「ここで白鵬が負けたら勝ち星が並ぶ(もしくは抜ける)」という時、白鵬はほぼ確実に勝った。段々と「こういうときは負けないから白鵬だろうよ、ほらね、やっぱり」なんて習慣を重ねるようになる。他の力士が引退する中、白鵬だけは勝ち続ける。いつかは衰えて負け続けるのだろうか。そんな風に思っていたが、違う結末だったようだ。
朝青龍が様々な筋肉トレーニングを稽古に取り入れたりした中、白鵬はただ四股テッポウすり足という相撲の基本的な稽古をひたすら続けたという。江戸時代からの相撲の文献に目を通し、双葉山の相撲に憧れて夢にまで見たという。これだけ書くと、先に述べたように「優等生」に見える。ただ現役の最後の頃の勝利への執念や朝青龍とのにらみ合いを思うと、ただの優等生というわけでもあるまい。何より完全な不良も優等生もいないし、そもそも完璧な横綱も人間もいない。それを受け入れない人が品格を求める。大道廃れて仁義あり、とはこのことかな。
最後に、白鵬が引退会見で繰り返したこと。「型を追求し、やがて型から離れる。これはどの世界でも共通のこと。色々な技をつかう力士はちっとも怖くなかった、自分の型を持つ力士が怖かった」

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