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Kyohei
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阿部恭平の
ブログ

Vol.174
2021 10/18 Mon.
カテゴリー:

やれやれ、ハイホー

ジョン・アーヴィングがたしかこんなことを言っている。「なぜ小説を読むのか?親や先生に薦められるから?なにかを学べるから?全てノーだ。答えは、面白くて読まずにいられないから、だよ」

さすが。ベストセラーを連発、映画化されても好評、という作家だからこその発言だろうか。
なぜこんな台詞を思い出したかというと、村上春樹を思い出したからで。私にとって彼の作品はまさに「読まずにいられなくて」読むからだ。こういうと彼を熱烈に賛美しているようだが、そうでもない。なぜだかわからないが、彼の作品は読み終えたあとほとんど覚えていない。「海辺のカフカ」も「1Q84」もすごい勢いで読んだはずだがあまり記憶にないし、「おいおい、この展開はないだろ」「相変わらず『僕』は女の方から口説かれるんだな」とかケチをつけながら読んだことを覚えている。ジャンクフードみたいな小説、というとあからさまな悪口みたいだが、そんな印象だ。袋をあけたら一気に食べる、しかし栄養もないし、味の印象もない。(たしか「風の歌をきけ」で村上氏本人も文学作品についてそんな描写していたな、ビールと同じで飲んで消化して終わり、とか)
後々ヴォネガットやフィッツジェラルド、彼が翻訳したカーヴァー、チャンドラーなどを読むと「なるほど、あの世界観はこれか」と思ったものだった。あの登場人物の洒落た言い回しも学生時代に友人ともじったりして「春樹じゃないんだから」とか笑いあった。昔随筆は結構読んだ。小説では「風の歌をきけ」が記憶に残ってるくらいで、基本的短編の方が好み。一番好きなのは「螢」なんだと思う。
何年か前に引っ越しも兼ねて多くの本を処分した。いつか読もう、と思っていた積ん読のものから、あの頃熱心に読んだなあ、のものまで、「また読みたくなりゃ図書館で借りりゃいい」「今まで読んでないんだから、これからとどうせ読まない」と言い聞かせながら学生時代から買い漁った小説や随筆から哲学書まで焚書のごとく段ボールに詰めた。手に入らない洋書やこれだけは手元に置こうかな、と思ったものは取っておいたが、その中になぜかボロボロの新潮文庫「螢、納屋を焼く」の短編集が入っていた。村上春樹の本を買った記憶はないし、大事にとっておいた記憶もない。村上春樹の人気を思えばそれこそ古本屋でも図書館でもいくらでも見つかるものだろう。なぜだろう。
で、先日出掛けるときにたまたま手にとった。「たしか螢は好きな短編だったよな」と読み始めたら、展開は忘れていたけど、やはり愉しく読むことができた。不思議な縁ではあるが、今までで一番村上春樹の小説を身近に感じたかもしれない。何事も縁やタイミングで妙なことがおきたりする。まるで最高の珈琲を淹れた途端に長電話が始まるようにね。(←精一杯の村上春樹のもじり)

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