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Kyohei
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阿部恭平の
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Vol.178
2021 11/29 Mon.
カテゴリー:

文は人にあらず、声は人なり?

急遽引っ越すことになる。もちろん理由があって引っ越すのだが、実に面倒くさい。ゴミを捨てたと思ったらまた捨てたいものが出てきたり、持っていこうと思ったらまたもや持っていきたいものが出てきたり。そもそも物をあまり持たない人は苦労しないんだろうが、書籍やCDになんらかの親しみを覚えてしまうタイプの人間には実に手間のかかる作業となる。何年か前に実家のリフォームの際にも似たようなことをしたが、そのとき以上に面倒であった。「やっと運んだ」と思ったところで掃除して返さなきゃならないのだから。しかも運んだ先の整理もしながら、である。いやはや。
とはいえ、何かしら新しくなる生活のために嫌いなことでもしなきゃならない。ゆっくり眠る時間なども失ったけれど、ここから充分取り戻したい。
その作業で何度も荷物を運ぶわけだが、その運転中、季節柄クリスマスソングを聞く。たまたま聞いた曲が「お、面白いリハモしてるじゃん」とか思い、探してみて「おーこれこれ。なるほどねー」となるものの、結局歌手が好みじゃないせいかすぐに飽きてしまった。やはり声なのだ。アレンジや編成、伴奏などがどれだけ趣向をこらしていても、声一つで人々を惹き付けるかどうかは決まる。
そういえば声といえば、昨年好んで聞いていたエラ・フィッツジェラルドのFrosty the snowman。今年も運転中などに聞いているが実は別テイクなるものもある。アレンジもテンポも全く同じ、私は去年初めて聞いた誰か子供が歌ったのだと思ったが、よく聞けばタイム感やニュアンスはエラそのもの。実際にエラだった。子供を真似ておどけた感じに歌っていて「なんだこりゃ」くらいの感想だったが、今年はたまに聞くようになった。通常のエラが大人の目線で雪だるまの物語を語るのに対し、こちらは子供の目線で話しかけるようなイメージで、これはこれで良い。声はキャラクターを表し、すなわち人そのものになる。昔から思うけど「誰々の歌が好き」というのは「誰々の声が好き」であり、究極的には終いには「誰々自体が好き」ということを意味する。音楽性やら美学やらはどうでもいいのだ。かくいう自分もポール・マッカートニーがジャズを歌おうと日本語曲を歌おうと聞くと思う。
さてそれとは別に最近よく聞くクリスマスソングはI'll be home for Christmas。すこし物悲しい歌詞でシンプルだが良い。もう12月か。

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