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阿部恭平の
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Vol.191
2022 04/15 Fri.
カテゴリー:

小津安二郎の言葉と寛容について

戦争が起きたから、というわけでもないけれど、先日第二次世界大戦が起こる直前の頃のヨーロッパに関する新書を読んだ。筆者は珍しく当時ヨーロッパに滞在していた日本人である。
ヒトラーがチェコスロバキアを元来ドイツの土地であると主張し、俗に言うミュンヘン会談が開かれた。それ以上は領土を広げない、という条件でヨーロッパ諸国はヒトラーの主張を受け入れることになったが、ヨーロッパ危機を救ったということでイギリスのチェンバレンは英雄のようにも扱われたらしい。フランスのソワール紙は「この度のチェンバレン氏の功績に、いつでも釣りができるようにフランスに別荘を建ててプレゼントしよう」などと提案したという。
その後は長々と語る必要もない、ヒトラー率いるナチスはチェコスロバキア解体、独ソ不可侵を交わしポーランドから東欧、しまいにはフランス占領、イギリスにも空爆。ロシアにも侵攻。第二次世界大戦そのものとなる。
チェンバレンはナチスよりソ連を信用できず、スターリンはナチスよりもヨーロッパを信用できなかった。その結果「自分達以外信用できない(特にユダヤ人なんて存在自体が自分達を苦しめている!)」ナチスにどちらも上手く利用された。この「信用できない」という言葉は「不寛容」とも言い換えられる。他者に寛容でないところから争いは始まる。領土や権利はもちろんだが、例えばマスクするしない、なんて話からも言い争いに至る事例をこの数年で幾度となく目にしたものだった。
小津安二郎の言葉で「どうでもいいことは流行に、大事なことは道徳に、芸術は自分に従う」というものがある。世界中で多くの映画監督が様々な手法をこらす中、自分のスタイルを通した彼ならではの言葉、さすが小津監督!などと受けとめられているだろうし、私もそう思っていた。が、年を取ってみると前半箇所にこそ精神の自由を感じる。たしかに小津は「どこを切っても、24時間、映画監督だった」というよりは、撮影以外では監督らしさはなく、撮影のない時期には役者やスタッフ仲間と飲み歩き、草野球まで一緒にしていたとか。「流行に」なんていうのはいかにもキッチュな表現だが、小津さんなりの姿勢の切り替え、そしてまさしく「どうでもいいこと」は他者にゆだねる、という寛容さのあらわれなんだろう。
そうなると不寛容ってのは結局のところ相手の問題ではなく、「他者にゆだねることのできない」エゴの問題ということになるね。人間、どうしてもこの問題からは離れられない。困ったものだ

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