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Kyohei
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阿部恭平の
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Vol.206
2022 10/31 Mon.
カテゴリー:

未完成と価値

ドストエフスキーの「おかしな人間の夢」という短編を読んだ。かつては「おじさまの夢」と呼ばれていたらしく、そちらの題名の方が語呂としては好きなのだが、現代では前者になっている。自殺を考えているおじさんが夢を見る話なのだが、ちょっとSFらしさもあり、老荘思想らしさもあり面白かった。ドストエフスキーにしては実に短い作品でもあるが、私の高校生時分に熱中した「地下室の手記」にも通じる作品かもしれない。
思えば大作の前後に、その作品のきっかけ、もしくは副作用のような小品が生まれていることは多い。ドストエフスキーだと「悪霊」と「スチェパンチコヴオ村」は比較されるし、プルーストは「喜びと日々」から「失われたとき」を書くようになり、ジョイスも元々「ユリシーズ」は短編集に含めるつもりだったという。
音楽でも大半の作曲家は交響曲にこそ本当にやりたいことをつめて、協奏曲やソナタはそれぞれの楽器の特性にあわせて作った「小品」にすぎないと言う。ジャズスタンダードの名曲、つまりミュージカルや映画の曲で有名なジェロームカーンも本来はクラシック音楽を学び弦楽曲を書きたがっていた。ガーシュインなんかにとってもジャズでとりあげられる曲のいくらかは、小品みたいなものだろう。
しかしその作品の価値と作り手の意志は必ずしも一致しない。ベートーベンのシンフォニーよりもエリーゼのために、の方が好きということも、ジョイスの長編は興味ないけど短編が好き、なんてことは個人の自由である。私もその個人の自由を主張するタイプのようで、交響曲よりも協奏曲の方が好きなんてこともよくある。ラフマニノフなんかは完全に協奏曲の方が好みだ。この間たまたまグールドが「田園」の一部をソロピアノにアレンジしているものを聞いたが、(田園は好きだけども)必ずしも「オーケストラの方がよい」とも思わない。それはグールドがすごいのか、ピアノという楽器と相性がよいのか、わからないけれど。
いずれにせよ未完成、不完全らしきものこそ好みということはしばしばある。それこそコンサートでアンコールの一番がよかったり。

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