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Kyohei
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阿部恭平の
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Vol.208
2022 11/29 Tue.
カテゴリー:

太っちょのおじさん

最近珍しくパーティー演奏が続いている。コロナ禍になってからこれほど多いのは久々である。いよいよ日常に戻ろうとしているのかな。
ある演奏のときに太っちょのおじさんが大いに喜んで聞いてくれていた。太っちょのおじさん。なぜか昔からそういう人には好感を抱く。食いしん坊そうで、おそらく奥さんに食べ過ぎだとか飲み過ぎで、小言を言われてそうなおじさん。なぜか、と聞かれてもまともな答えはないのだけれど。

太っちょ、と言えばサリンジャーの「フラニーとゾーイ」を思い出した。フラニーは才能ある若い女優なのだが、劇の世界に没頭したあまり神経症になる。どれだけ演じたってお客さんには伝わっていない、偉そうに語る批評家も、ただ内輪で盛り上がりたいだけで、実は劇や演技の本質には興味を持っていない。皆に天才などともてはやされるけど、私はなんのために役者をやっているのか。もう辞めてしまいたい。
このように悩むフラニーに対し、兄であるゾーイは励ますように、叱るように話し続ける。その対話の中にゾーイの思い出として出てくるのが「太っちょのおばさん」である。彼らは兄妹そろって子供の頃から天才児として、ラジオに呼ばれたりしていたのだが、そのときによごれた靴を履いていたゾーイに対し、長兄のシーモアが「靴を磨いてから履いていけ」と言う。ゾーイは言い返す。「あんなラジオ番組、僕らを面白がってるだけだし、何の価値もない。ラジオなんだから靴なんか誰もわからない」と。それに対し「きっとこの国のどこかに、今日のラジオを聞いている太っちょのおばさんがいる。その人のために靴を磨くんだよ」とシーモアはニヤッと笑う。

このエピソードはこの小説の肝にもなっているのだが、私個人的にもある時期から(特に)芸事の指針めいたものになっている。というか、この作品を知っていて、芸事に関わっている人はたいていそうなんじゃないかな。実にサリンジャーらしい、良いエピソードだと思う。ま、問題は私がフラニーやゾーイと違って天才などではなく、凡人にすぎないことはまた別のはなし
精通する人や特別な人(だけ)に向けるのではなく、たまたま通りかかるような「知らない誰か」のためにこそ準備して向き合いたいものだ。太っちょのおじさんを見てそんな初心めいたことを改めて思い出した。

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