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Kyohei
Abe
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阿部恭平の
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Vol.215
2023 03/08 Wed.
カテゴリー:

舞台から生まれるもの、部屋で生まれるもの

映画は芸術と産業があわさっている、とタルコフスキーは書いている。たしかに芸術と一口に言っても絵や文学などと違い、映画は観客がいなくては上映されない。もちろん劇や音楽もそうだね。フランスに住んでいた頃、プルーストの劇をやるってことで劇場に足を運んだが、平日だったせいか客は私と友人の二人だけ。上演時間を過ぎた頃に役者らしき二人が舞台から下りてきて「また後日に来てください」と無料チケットをくれた。パリは芸術への関心が高いから、どこの劇場も演奏会もそれなりに人がくる?いやいや、そうとは限らない。その後、日曜日に行ったらそれなりに人はいたけれど。
そんなわけでお客さんがいなければ劇は上演されないし、演奏も行われない。やることはあるかもしれないけど、それは意地であったり姿勢の一環であり、感情などによって行われるものだろう。そう考えるとお客さんがいるのに音を出さないというジョン・ケージの4分33秒(いつまで経ってもこの曲名を覚えられない。興味ないし覚える気もないけど)は、その演奏会の特性を逆手にとったものかもしれないね。その意図や内容になんの価値があるかわからないけど。
その点、文学や絵画、漫画などは誰にも知られることなく作業することができる。サリンジャーのように顔を見せることを避け続け「今まで何度かプロフィールめいたこと書かされているけど、それらが正確かどうかは保証しないよ」などと書くのも自由だ。作家や漫画家の場合は読者からどんなイメージを持たれても本さえ売れたら生活はできる。性別や年齢を偽ってきた作家も今までごまんといただろう。ただし役者や演奏家などの場合、自分の姿形に対して他者が同一化してくれないことには仕事にならない。ゴースト作家はいても、ゴースト俳優は聞いたことがない。
くだらない話こそ長くなる。同じ芸術のくくりだけれど、舞台に立つ職業ならば顔を見せ、名前を見せることだけでも、いくらかの意味はあるんだろう。しかしそれが全てでもない。顔や情報を明かさない作家や作曲家が全員、魅力的とは限らないように。顔だして、名前を出し続けたら、ますます活躍できる。って考え方があるとしたら、それは安易だよね。

そういえばタルコフスキーさんはこんなことも書いていた。「観客に気に入られようとして、観客の趣味を無批判に取り入れることは、観客を敬っていない証拠である」

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