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Kyohei
Abe
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阿部恭平の
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Vol.223
2023 06/09 Fri.
カテゴリー:

誉めるも貶すも

ある時期からか、私は「しょっちゅう誰か、何かを熱烈に誉めている人」を興醒めして眺めるようになった。相手を目の前にして誉めている場合などは特に。目の前にして誉めまくっておいて、その人が席を外してから「あの人もまあ頑張っているけどさ、、」などと小言めいたことを言っているのも幾度となく見た。まあそんなことは誰しも経験したことかもしれない。

思ってもないのに目の前で誉めるような薄情な類いは別にして、誰かに対して「Aは素晴らしい」などと伝える意味はなんだろうか。Aの良さを、あるいは「自分はAを好む」ということを他者に伝えたい、ってところか。そうなるとAの評価が高まってほしい、もしくはAを好む自分の趣味嗜好を受け入れて欲しい、ということになる。結局は他を持ち上げるようで承認欲求だよね。ペダンチックな承認欲求なんて青臭い文学部生なんかにありがちで、私なんかもかつては青臭さに輪のかかったような若者だったから、余計に気分悪くなるわけだよ。「この場面はプルーストへのオマージュとして受け止めて」、「この監督の8ミリの映像にはゴダールへの敬意があふれているから」、etc, etc。うるせー、バカ。女の子見て鼻の下伸ばしてるくせに。

最近知ったが、蛙現象なる言葉が流行っているらしい。意味を聞いたときにフローベールのボヴァリー夫人を思い出した。エマ夫人は医者である旦那が寒い中帰宅し、鼻の頭を真っ赤にしながら美味しそうにジャガイモを食べる姿を見て一気に醒める。人によっては「可愛い」とか思いそうなものなのに。(こんな話をするのも青臭さの名残だろうか)
蛙現象とやらには冷たく「幼稚だね」と突き放す、もしくは「そういう未成熟な面って誰にでもあるかもね」と優しく声かける、くらいの対応しか思いつかない。ただ話を戻すけど、容易に何かを誉める人は容易に貶す人にもなる。もちろん本人達は本気なのだろうけど、それが心の狭い私としては軽薄に見えてしまうんだろう。

逆説的かもしれないけど、人を誉めも貶しもしない人の方が「なに考えているかわからない」ようで、信用できるということになるのかな。あらゆる評価も表裏一体、きれいはきたない、きたないはきれい。

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