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Kyohei
Abe
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阿部恭平の
ブログ

Vol.229
2023 09/02 Sat.
カテゴリー:

思い出す日は、だいたい晴天という。

愛猫昇天。びっくりするほど空の青い、朝のことだった。痩せ細ってしまったが、さほど苦しまずに、朝だったので看取ることができた。

改めて思うのは動物と暮らすことを含めて、あらゆることが人間のエゴだな、ということ。苦しんでほしくないから酸素室に入らせるのも、強制的に食事をとらせるのも、点滴を打つのも、はたまた何もしないのも、全ては人間のエゴにすぎない。「~してあげたのに」とか「~してやればよかった」とか、考える必要もないんだろう。全てはこちら側の都合と意思なのだから。冒頭に「苦しまずに」「看取ることが」などと偉そうに書いているが、これもこちら側の都合でしかない。

最期までの時間は様々なことを考え、思い出した日々だった。私は供え物みたいな儀式的なことには興味がなかったし、今でもないことはないんだけれど、それも本来は「無意味なことでもしてやりたい」からやることなんだろうと思った。猫が水しか飲まなくなってからは、水に口をつけたらすぐに新しい水に取り替えていた。水しか飲めないならせめて新鮮な水を、と。それは誰でもやりそうなことだね。ただ猫が水を飲まなくなってからも、やはり取り替えていた。どうせ飲まないのに、まさに儀式的に。これは潔癖や生真面目などではなく、水をかえてやるくらいしかできることがないから、無駄とわかっていてもやりたくなったからだった。

谷崎潤一郎の「刺青」は「かつて愚かしさが美徳だった」と始まる。誰かの病気が治るように、などと神社で水をかぶる、とか、治してくれたら一生魚は食べません、とか江戸の人情話にもよく出てくる。非科学的だし、愚かといえば愚かだが、美徳とも言える。

石田三成が処刑される前に喉の乾きを訴え、柿を薦められると「身体を冷やすから」と断った。これは通じるのか通じないのかわからないけど、ちょっと似たような話かな。ちなみにうちの場合は今まで節制していた「猫のおやつ」というようなものも遠慮なく与えて、最初のうちは嬉しそうによく食べていた。もちろんこれもこちら側のエゴだ。

闘病に付き添うのはなかなか辛いことも多かったけれど、いなくなってからはふと目をむけて不在に気づかされることが多い。私の傍で寝ることも多かったので、動いて当たってはいけないから、朝起きるときにもどこにいるか確認する習慣。あと窓の開け閉め、玄関の出入りなども万が一出ていかないようそっとやっていたが、そんな必要もない。しかし無意識のうちにやっては「あ、もういないんだった」と思い出す。いつかはこの習慣も完全に忘れるかもしれないが、それが良いことなのかどうかもわからない。

話が長くなっている。音楽に関係のなさそうな話ばかりだ。(普段からそうだって?)猫の話は今回で打ちきりにする。ともあれ、10年間一緒にいてくれてありがとう。お疲れ様。

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