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Kyohei
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阿部恭平の
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Vol.230
2023 10/04 Wed.
カテゴリー:

So what ??

もう10月。猫の話題は前回まで、と言って1ヶ月過ぎたが、やっぱり思わない日はない。早朝こちらがまだ寝たいのに爪を立てて起こされたり、忙しい時にご飯にがっついた後に(絨毯の上に!)吐き出したりしたのも今となっては懐かしいし、今年になって食欲が落ちた頃に「ご飯残ってるよー、とか呑気に声かけてたけど、あのとき既に喉が苦しかったのかも」などと後悔にも似たようなことを思う。特に一人になったときに多い。人はこういう状態をペットロスと呼ぶのかもしれないね。しかし正常な振る舞いとはどういうもので、誰が定義できるのかわからない。

思えば母親を亡くした時も振る舞い方を気にしていた。12歳という妙な年頃だったからか、同級生からの視線も、大人からの視線もどちらも感じていたので「母親を亡くした人間はどうあるべきか」ということを考えていた気がする。妙な同情も嫌だったし、何かと結びつけられるのも気分が悪かった。初対面の人に「こいつ、お母さん亡くなってるんだ」とか紹介する同級生もいた。悪気はないんだろうけど、なんなんだそれは。聞いた方も「へー、可哀想。悲しかった?泣いた?」とか面白そうに。子供って愚かで残酷だね。

 

と、書いて思ったけど、大人でもそういう人はいる。人を紹介するようなときに「あの人、病気してるんだよね」「親御さん大変らしいよ」「バツイチなんだよね」とか聞かれてもないのに喋りたがる人。なんてことはない、愚かで残酷なのは子供だけじゃなさそうだ。いかにも心配するようにそんなこと言われても、「だからなんなのよ」と思う他ない。そういえば世の中「だからなんなのよ」で済む話は多い。個人的に気になるのは、よくキャスターや政治家のいう「私も子を持つ親として」「同じ女性として」「私も愛犬家として」とかその類いの表現。何が、と言われると細かく説明するのが難しいけど、苦手だね。うまく言えないけど嫌い、ってのは意外と重要だね。なぜかわからないけど好き、ってのが意外と大切なのと同じように。

まあそんなわけで前回猫の話は打ちきりと啖呵を切ったけど、あっさりと前言撤回。猫の話からの拙文になってしまったが、まあ誰かに迷惑もかけてるわけでもなかろう。それこそ「(猫の話したからって)だからなんなのよ」と。

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