八雲立つ出雲八重垣
NHKの朝ドラ『ばけばけ』を見ている。普段朝ドラを熱心に追うわけじゃないので、前回の『あんぱん』と続けて見るのは珍しい。
舞台は島根県の出雲から始まる。自分の父の父、つまり祖父が出雲の出身なものでお墓もあって一応縁がある。基本的にホラーや怪談などは苦手なので作品を読む気はないけども、小泉八雲について何も知らないのでそこにも関心を持っている。
たまに会う島根出身の祖母に朝のドラマの話をして「おばあちゃんの喋り方とはだいぶ違うよ」というと「そりゃ出雲弁はズーズー弁、私は石見弁だから」と強調。祖母の生家は島根の中でも広島寄り、北部の出雲とは言葉も文化もだいぶ違う。とはいえ、数分前の会話を忘れても、出自に関するこだわりみたいなものはあるらしい。
先日たまたま水木しげるの書いた『古代出雲』という本を手に取った。彼は鳥取県境港市出身、出雲からも比較的近い。考えてみたら山陰地方は鬼太郎といい、小泉八雲といい、妖怪や幽霊の話に縁がある。で、実際この本を読むと出雲や島根が意外と、というか、思った以上に歴史が深いことに気づく。考えてみたら当たり前で、古事記と日本書紀の舞台だ。自分はそのへんのことには疎いもので、水木氏のこの本で知ったことが多かった。大和朝廷よりも前から、大陸からの人や文化の窓口として隠岐の島が機能していたとは。たしかに対馬海流は流れがきついから、九州には行きづらい。
最近はめっきり行かなくなったけど、高校、大学の頃は一人で墓参りに出雲市まで毎年行っていた。墓までは出雲市駅からバスで一時間弱、本数も二時間に一本ぐらい。子供の頃から何度も行っているもんで、墓に向かう途中の出雲大社なんかも素通り。あの巨大な注連縄にも、そもそも神仏にも興味ないのでお参りもしなかった。出雲蕎麦も昔から知っているもんで「あー、あれね」くらいのものである。(この程度の思い入れで、この都市を曲名にする人もいるらしい。困ったものである)
改めて考えると因幡の白兎を助けたオオクニヌシが出雲の長になり、それを祀ったのが出雲大社(正式には大社はおおやしろと読む)。まわりの住所は今でも大社(こちらは、たいしゃ、と読む)が含まれている。出雲大社の分祀から日本中に広がり、やがて「大黒様」、さらには縁結びの神様になった。神話からできた神社と、そこにまつわる土地とその名。やはり神話の街だな、と思う。そんな逸話や神話の舞台で妖怪や幽霊の話がたくさん生まれるのは自然なことなのかもしれない。そうそう、日本最初の和歌もスサノオノミコト、出雲発祥とされているのか。
柳田國男など民俗学者の作品などでも顕著だけど、神話や民話、風習などには(真実かどうか、科学的かどうかは別にして)その土地、時代の価値観の象徴にもなりえる。もちろん芸術もそうだろうね。古くならないものはどこかその土地や空気を感じさせる。そう考えるとせっかく出雲に縁がある者として、次行く機会あれば改めてゆっくり見てみようかな、と。「あー、あれね」とすませずに。









