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阿部恭平の
ブログ

Vol.168
2021 08/17 Tue.
カテゴリー:

もつともたぬと

職業不明の有名人がYouTubeで話題になっていることを知った。(これぞ詐欺師めいた「アーティスト」だろうか?)どうやら「ホームレスや生活保護受給者なんか死んでしまえばいい、おれの税金の無駄」みたいなことを話したらしい。いやはや、語るに無惨。以前に東京大学の入学式である社会学者が「貴方達が今ここにいるのは(能力ではなく)環境のおかげ」と述べたが、彼にはこれの意味するところもわからないのだろう。税金の無駄、という表現もおかしい。霞ヶ関の連中が身内同士で潤っていることを指すならばともかく。
どうせ謝罪訂正するんだろうな、と思っていたら案の定。それで収まらなかったようで何度か謝罪しているらしい。当然映像も彼の言い訳もまともには見ていないので、少ない情報からであるが「勉強不足だった」とか「死んだ母親に申し訳ない」みたいなことを泣きながら述べたという。勉強不足から「死ねばいい」という表現になったのだろうか、それとも本心を公の前で語るべきではない、と勉強できたってことかな。そして亡くなった母親の話を聞いてあることを思い出した。
私が小学生の時分、授業か何かで料理をすることになった。各々割り当てられた材料を持ってくることになっていた(たしか私はトマトだった)。で、その授業自体を見事に忘れ、担任の教師に注意される。おそらく自分の対応も「あ、すっかり忘れてましたー」ぐらいの軽いものだったのだろう、料理が始まってからも彼女から再度注意される。「もうお母さんも退院したんでしょ、やることはきちんとやらなきゃ」と言われた時、私は反射的に「あ、昨日また入院したんですよ」と返した。すると担任は「それは大変だったわね。準備できなくても仕方ないね、ごめんね」と心配そうに言い、その後はそのことについて注意されることはなかった。
たしかに母親は入院した、しかしその日程は前々から決まっていたことでトマトを買うことをすっかり忘れていたこととは無関係である。担任の教師が緊急入院と勘違いしたフシもあり、今だったら「いや、忘れたのとは関係ないですよ」とか返すだろうが、当時の私はなぜかそれを言えなかった。その結果当たり前だが、母親の病気を免罪符にしたような、妙な居心地悪さを覚えた。
別に聖人君子でもない身勝手なガキですら、これくらいの感情は覚える。三十路は過ぎているであろうれっきとした(たいそう立派な額の税金をおさめている!)大人は脈絡なく母親の話を出してどんな気分なのか。あるいは「死ねばいい」などと脈絡なく言われ、「謝罪します、お金寄付します」って言われた側はどう思うか。仮に「演奏家など死ねばいい」など言った人が「謝罪したい」とか私に言ってきたとしても関わる気もないし、何も受けとりたくない。
こんな下らない話よりも大事なことはたくさんあるのだが、よく知らず今後も知ることなさそうな人の言動ついて長々と書いてしまった、何かと気に障ったのだろうか。ただホームレス、生活保護受給者はもちろん、多くの人々は思慮のない言動をとる赤の他人だからといって「死ねばいい」などとは思わないだろう。何を持とうと何をしようと、品性の点で彼は貧しく哀れでもある。

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